よんばば つれづれ

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文房具屋さんに便箋を買いに行きたくなる、ドラマ『ツバキ文具店』

とかく原作を読んだ後に見る映画やドラマは、原作を超えられないことが多い。けれども今回のNHKドラマ『ツバキ文具店』は、原作で説明不足と思われた点もうまく流れを作っているため抵抗を感じなかったし、キャストも魅力的で大変良い作品になっている。

 

このドラマでは殺人も起きなければ、不倫もない。鎌倉を舞台に、普通の人々の生活を丁寧に描いているだけだ。けれども、主人公の営むのが古臭い文房具屋であり、先代から受け継ぐ便箋やら筆記具やらを収めている蔵も時代がかっているし、代書した手紙を投函するポストも古い丸型のもので、画面にはレトロな雰囲気が満ちている。

 

昭和を思わせる画面の中、時間はゆっくり流れ、毎回何らかの事情を抱えた依頼人がヒロインの文具店に代書を頼みにやって来る。お茶をいれ、話を聞き、時には依頼人とゆかりの場所まで訪れるという丁寧な対応をして、まさに「本人に成り代わって」彼女は手紙を書く。

 

いや、本人であれば、文字のうまいヘタ以前に、あれほど多くの選択肢の中から筆記具を選び、それに適した便箋を選ぶことなどできないだろうから、本人が書く以上の手紙と言える。

 

この、蔵に入って筆記具を選ぶシーンや、ヒロインが手紙を書く場面がとても好きだ。それから、その手紙に適した切手を選ぶところも。思わず自分も、こんなに思いを凝らした手紙を誰かに届けたくなる。

 

私の父が、必ず記念切手を貼って手紙をくれる人だった。親の反対を押し切っての結婚だったので、筆まめな父も私に対してはあまり手紙は多くなかったが、それでも時々母と旅行に行った写真や同居の孫の写真などを送ってきた。そうしたときに通常切手が貼られていることはなく、必ず美しい切手が貼られていた。

 

その影響だろうか、気が付けば私も便せんや封筒を選ぶのと同じくらい、切手も気にするようになっていた。今はすっかり手紙を書くことが減ってしまい、切手を10枚購入すると忘れるほどもってしまうので、あまり何種類もの中から選ぶという使い方はさすがにできなくなったけれど。

 

見終わってふんわりと優しい気持ちになる、こうしたドラマがもっと増えたらいいのにと思うけれど、いまだに重要とされる視聴率という点ではこのドラマは決して良くはないので、民放ではなかなか望めないことだろう。

 

 

ゴールデンウイーク最終日の今日は、連休明けにも最終局面を迎えそうな共謀罪法案への対処の相談で終わった。昨日から連絡や集まる場所の選定をし、午前はその調整で過ぎ、午後都合のつく4人が集まり5時過ぎまで相談。帰宅して夕食をとって、担当することになった2件の文案を作成した。

 

大海の一滴でもごまめの歯ぎしりでも、とにかく何もしないではいられない。

 

 

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ドライブ日和に、ヤシの実の流れ着いた伊良湖岬へ

ありがたいことに、出不精の私を引っ張り出してくれる人がいて、ドライブに出かけた。季節も天候も、外で過ごすにはもってこいの気持ちよい日に、自然を満喫した。

 

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行き着いた先は渥美半島の先端、伊良湖岬。雄大な太平洋!海を見るとなぜか懐かしいような嬉しい気持ちになるのは、やはり生命が海から来たから?

 

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サーファーたちがたくさんいた。手前のカップルはボードを持っていないから、それを見に来た恋人たち?

 

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太平洋を眺めながら、バーベキューを楽しむ人たち。

 

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太平洋の荒波の浸食によって真ん中が洞穴となった日出の石門。 沖の石門、岸の 石門の2つあって、その名のとおり日の出のときに美しいシルエットを見せるそうだ。

 

f:id:yonnbaba:20170505211224j:plain 伊良湖の観光サイトより拝借した日の出風景。

 

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この伊良湖岬に流れ着いたヤシの実の話を柳田國男島崎藤村に話し、そうして作られたのが「椰子の実」の詩だ。それを記念して建てられた碑。

 

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藤村の「椰子の実」のロマンを再現しようと、昭和63年から、毎年沖縄の石垣島を「遠き島」に見立てて100個ほどのヤシの実を流しているのだそうだ。青い看板には、その漂着した場所が記録されている。近いところでは鹿児島や長崎などから、東京都や千葉など関東地方も結構あった。もちろん愛知県もとても多い。

 

 

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ホテルのティーラウンジでコーヒーを飲みながらのんびりおしゃべりしていたら、陽の沈む頃合いとなり、太平洋に沈む夕日を楽しむことができた。

 

 

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お昼に食べたあなご天丼。本来はあなごがもっとずっと大きいらしい。「大きいものが終わってしまって少し小さいので3本お付けします」とのことだった。結構話題のお店らしく、ギャル曽根さんが天丼を食べている写真や、ぐっさんの一行や、オリエンタルラジオのふたりとお店の人が店の前に並んだ写真などが飾られていた。

憲法記念日のスタンディング 【写真を追加】

昨日、豊橋スタンディング+(プラス)からメールの配信があった。「明日は憲法記念日九条の会、安保法制の会とともに、10時からスタンディングを行います」とのこと。

 

で、参加してきた。

 

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レンズが曇っていたのだろうか、なんだか画面がもやっとしているが、気持ちの良い天気だった。参加者は7、80人といったところ(カメラの後ろ側にもまだ半分ほど列がある)。やはり3団体合同だけあって、久々に賑やかな駅前スタンディングになった。ビラ配り、リレートーク共謀罪法案反対の署名活動なども同時に行われた。

 

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今日はガチャピンが二人!「やっぱり人目を引くためにはコスプレしなきゃ!」。

 

私は、「こうやって声を上げるのは、特別な活動家だけがすることでなく、ごく普通の市民がすることなんですよ!」と示すために、ちょっとお洒落して参加。これも一種のコスプレだと思う。

 

でも、私たちの思惑をよそに、通る人々はみなこの先の遊びにすでに心は飛んでいるのか、関心は非常に低かった。夕方スタンディングしていると、ときにはじっくり一枚一枚のプラカードを読んでいってくださる方もいるが、今日はかなり多くの通行人がいたにもかかわらず、プラカードに注意する人はほとんどいなかった。私のプラカードは、憲法記念日にちなみ「改憲の 真のねらいは 基本的人権の とりあげ!」。

 

 

リキ丸くんさんが昨日のブログで「たなくじ」について書いていらして、「ちょっと高めの弁当を食べると大吉」というおみくじを引いていらした。その真似をして、今日はスタンディングの帰りに駅ビルで一番高価なお弁当を買って帰ろう、と決めていた。

 

rikimarutti.hatenablog.com

 

ところが、”言いだしっぺ”から今後の活動の仕方について話したいとお誘いがあり、都合のつく何人かでいつもミーティングで利用する近くのレストランに行くことになった。そこで、弁当でなく、メニューの中からちょっと豪華なランチを選択。

 

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「春の田楽松花堂ご膳」1630円なり。これにデザートとして小ぶりのぜんざいが付く。一番小柄な私が、一番豪華なメニューを平らげた。

 

共謀罪法案が成立したら・・・と今後についての意見が求められたが、「あんまり委縮しないこと」「これまでと変える必要はない」とここに参加したメンバーはなかなか強気だった。でもなかには、すでに以前の集まりで「法案が通ったら、私は抜けます!」と宣言しているメンバーもいる。

 

独り身の人、夫婦のみで考えの一致している人などは比較的強気の傾向だけれど、家族の多い人や神経の細い人は、やはりいろいろ気にかかることだろう。こうして忖度し、委縮することが敵の思う壺だとは思うけれども、不安に思う人を無理に引き留めることはできない。

 

それにしても、世間の関心の低さよ!

 

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スタンディングのFBから借りて、ちゃんとした写真を1枚追加。

 

 

申京淑(シン・ギョンスク)著『母をお願い』は、絶滅ちかい「おふくろ」の物語

「この小説のなかには私と、私の母親がいる。あなたと、あなたの母親がいる。そうして私たちは母というものの、途方もない大きさを、恐怖にも似た畏敬を持ってあらためて知るのである。」この本の帯に書かれた角田光代さんの言葉である。

 

この物語に描かれている「オンマ」は、貧しい家庭に生まれ学校にやってもらえなかったため文字が読めず、初潮も迎えないほど若いうちに嫁がされ、五人の子を産み、妻子を捨てて他の女のもとへ走りやがてまた妻のもとに戻ってくるような身勝手な夫に仕え、米びつにコメが一粒もなくなる恐怖と常に闘いながらも、子供たちに存分に食べさせようと献身的に頑張る、そんな母である。

 

自分が学びたくても学校に行けなかったため、「オンマ」は貧しい中でも自分の子供たちには必死で学問を付けようとする。子供たちはそれぞれ立派に育つが、母親がしてくれたこと、そして大人になってからもし続けてくれていること―訪ねてくるたび、キムチだの小豆粥だの自家製の味噌だのを山のように背負って届ける―を当たり前のように思っている。

 

それが、ある日突然その「オンマ」が失踪し、夫も子供たちも初めて気付く。彼女が生まれながらに「オンマ」であったわけではないという、当たり前のことに。そうして自分たちが、いかに彼女から多くのものを受け取っていたか、彼女を頼りにしていたかを思い知る。

 

残された者の思いが、章ごとに長女、長男、夫と視点を変えて綴られ、第四章では失踪した「オンマ」自身の独白の形となり、思いがけない告白(今風に言えば衝撃のカミングアウトだ)もされる。

 

そしてエピローグでは再び長女の視点に戻る。「オンマ」の行方は最後まで不明のままなのだけれど、エピローグの舞台は、物書きの長女が取材で訪れているバチカン市国の教会で、しかも最後の場面に描かれているのが、わが子の遺体を抱く聖母マリアであることが暗示的と言えるかも知れない。

 

この作品が世界各国で翻訳出版され、ベストセラーになっているというのだから、母という存在に対する思いは万国共通なのだろうか。

 

けれどもこの物語に描かれているような、自己犠牲に満ち献身的に家族に尽くす母親というのは、いまはもうかなり少ない。先日読み終えた『逝きし世の面影』で描かれていた日本が、滅んでしまった「文明」だったというのになぞらえれば、ここに描かれた母は、滅んでしまった「おふくろ(韓国語では何があたるのか?)」、もしくは滅びつつあるそれ、ではないかと思う。

 

20年後あるいは50年後かもしれないが、もしかしたらこのような物語は理解不能となり、とても共感を呼んでベストセラーになるなどということはあり得ないかも知れない。それが人間にとって進歩なのか、幸せなことなのかは分からないけれど・・・。

 

 

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今日から5月、大好きな月

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珍しく写真から始めてみる。もっか満開のモッコウバラ。綺麗に咲かせていたお宅から枝をいただき、10センチほどの挿し木から育った。左奥のフェンスに絡んで白く咲いているのはハゴロモジャスミン。小さな鉢植えで、花も終り頃だったため割引価格になってい物をもとめ、花が終わってから地植えにしたら、うんと大きくなってあちこち勢力を広げ、むせかえるほどの香りを放って咲くようになった。今はまだ三分咲きくらい。

 

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このライラックも知人に枝をもらって、やはり10センチほどの挿し木から育ったもの。今年は花がたくさんついた。

 

5月の爽やかな青空のもと、こうしてモッコウバラライラックも見事に咲いているのだけれど、来年はどうなっているだろう。というのは、いま他の棟で外壁の塗り替え工事が行われていて、我が家の棟も秋には工事が始まる。なにせ、私がガーデニングを楽しませてもらっているところは共用スペースだ。

 

先日担当者が回って来て、「周囲の木やベランダに置いているものは片付けてもらいます」とのことだった。ベランダには大きな木製のプランターが2つもあって、私一人で移動させようと思えば、花を鉢にでも移して、土を出さなければ運べそうもない。簡単に移動できる鉢物で、大切なものだけ、先に工事を終える棟の知人のところに避難させてもらい、あとは諦めるしかない。

 

入居した時には緑が少なくて味気なさを感じものだが、いまや枝を切ったり刈り込んだり気を付けていないと、いつのまにかうっそうと茂り過ぎるほどの緑に囲まれている。20年余という時の流れを思わされる。青春真っただ中だった息子たちは中年になり、私は老年の入り口に立っている。

 

5月。数多くの花が咲き、暑くも寒くもなく爽やかな季節。もう、特に嬉しいわけでもなくなったけれど、自分の誕生月でもあるためよけいに愛着を感じてきた季節だ。

 

はてな」のテーマに「GWは何をする?」とあるが、私は「なあ~んにも予定が入っていない」。普段プライベートの予定がなくても、何かしら関係している団体や活動の予定が入り、一週間何の予定もないということはめったにないのだが、だいたいそうした活動はこうした連休期間などは活動を避けるので、むしろ私の手帳は空白になる。もしかしたら正月に来なかった息子一家が来るかと思っていたが、孫の入った吹奏楽の部活が結構強くて練習も熱心なので来られないようだ。

 

世間が混雑する時に無理に出かけなくても、毎日が日曜日の私はまたシーズンオフにでも旅行することにして、ゴールデンウイークは、読書週間か映画ドラマ三昧としよう。

 

 

豊田市民芸館訪問と縄文のビーナス

昭和の日(どうもピンとこない呼称)の昨日、友人に誘われて豊田市民芸館を訪ねるドライブに出かけた。天気予報では午後3時過ぎに天候が急変するので注意とのことだったけれど、朝出かけるときには、そんなことが信じられないようなドライブ日和だった。

 

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新緑の山は、まさに「笑う」という言葉がぴったりの賑やかさ。(足助にて)

 

 

f:id:yonnbaba:20170430204221j:plain 豊田市民芸館 第一民芸館(第三まであり)

 

第一の目的地豊田市民芸館は、私の全身も染まりそうな輝く緑の中にあった。紅葉の季節はもちろん見事だろうが、新緑も良いものだ。少し前の桜の季節はいくらか賑やかだったようだけれど、昨日は休日なのに全然ほかの来館者がなく、係員は私たちの専属コンダクターのごとくゆっくり話が聞けた。しかも常設展示は無料とのこと。

 

展示物は縄文土器から、室町、江戸期の土人形やら、近代まで使われていたような箪笥類まで幅広い。円空仏もたくさんあって、そのなかの一体、温かいほほえみを浮かべている、小さな聖観音菩薩の座像が心に残った。

 

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敷地内にある登り窯。平安時代の古窯を復元したもの。

 

 

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訪問者は少ないが、いちおう休日だからか茶室(勘桜亭)は営業していたので、抹茶をいただく。借景が素晴らしい。写真では分からないと思うけれど、川の流れも見える。

 

f:id:yonnbaba:20170429125438j:plain 菓子は牡丹。

 

 

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第三民芸館は改装中とかでゴタゴタしていたけれど対応はとても感じが良かった。来年(さ来年だったかな?)の展示のために全国から集められたこけし。目下その準備で整理の最中。男性3人が当たっていた。こんなバックヤード、めったに見られない風景なので、写真を撮らせていただいた。

 

友人が「こけしが西日本にないのはなぜですか」と尋ねると、整理作業中の一人の方はこけしの研究者だったようで手を止めて対応してくださったのだが、分からないとのことだった。適した木があまりない(温暖な地では材質が軟らかい)からだろうか、とは友人と研究者の一致した推論。

 

 

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こちらは足助資料館。分かりにくいところにあるうえ、地元の人にもあまり知られていないようだった。中では、女性の方が掃除機をかけていらした。平日はたぶん一日中ひとりきりだと思う。休日の今日でも、多分来館者は私たち2人だけだろう。

 

 

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このひっそりとたたずむ資料館の一室に、縄文のビーナス(右上すみ)がいた。想像していたよりはるかに小さくて驚いた。およそ5センチほどしかない。でも、その隣の胸から下のものなどなかなか豊満で、縄文の人々のおおらかさを感じさせる。

 

足助資料館を見ていた時、強い雨が屋根を叩く音と雷まで聞こえだした。時計を見ると3時を回ったところ。朝は信じがたいと思った天気予報が見事に的中した。雨の中、山道を下る。

 

縄文の土器やビーナスを見ていると、ゆったりと流れる「とき」を感じ、たくさんの物に埋もれ、時間に追われてあくせくと暮らす現代の私たちと、どちらが豊かか分からないなと、車に揺られながら思った。

 

途中、白や薄いピンク濃いピンクの枝垂桜があちこちで美しく咲き乱れ、山桜の咲き残りもあったりで、新緑の美しさとともに、豊かな日本の山村風景を満喫した一日になった。

 

ドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』と鎮守の森散策

友人と、隣りの豊川市のカフェヒマワリさんで行われる沖縄の映画の上映会に出かけた。映画は3時からだが、少し早く出発して豊川稲荷そばの老舗のうなぎ屋さんで昼食をとって行くことになった。友人の提案だったとはいえ、ごちそうになってしまった。ならばやはり「梅」を選ぶべきだったか・・・。

 

この前うなぎを食べたのはいったいいつだったろうと考えても、思い出せないくらい久しぶりだった。偶然だけれど、今日爽風上々さんがうなぎについて書いていらした。完全養殖がまだまだ研究途上なのは知ってはいたけれど、改めてその大変さを読んで、友人に「松」をおごらせたこと以上に、申し訳ないような気持ちになった。それでも、分不相応にしょっちゅう食べている訳ではなく、ごくたまにする贅沢なので、うなぎさんには勘弁していただこう。

 

爽風上々さんのうなぎについてのブログ

sohujojo.hatenablog.com

 

映画の上映会が催される喫茶店は、豊川稲荷のすぐそばの、カウンターを入れても十数人も入ればいっぱいになるような小さなお店だった。映画を見てから、東京から伴侶と3人のお子さんを連れて高江に移り住んで十何年かになるという、石原岳さんという本業ミュージシャンの方がトークをすることになっていたが、プロジェクターの到着が遅れているとのことで、先に話をされた。

 

現在の高江は、6つできることになっているヘリパッドのうちすでに4つできた状態で、3月から6月まではいちおう生物の繁殖などへの配慮で重機を使った工事はしないことになっているため、大規模な工事はしていないそうだ。でも、この4か月の休止は政府側の、「環境に配慮しています」というポーズに過ぎず、自然や生物への影響はとうに深刻なものになってしまっていると言う。

 

そうこうしているうち、プロジェクターが到着して上映が始まった。『標的の村』の舞台にもなった高江だが、この映画はそれとは少し違った趣で、高江の森やそこに暮らす生き物の紹介に重点を置き、抗議活動の様子は比較的淡々と描いている。インタビューに答える高江の人々も、とても冷静に話している。けれどもその話から浮かび上がる現実は、基地やオスプレイの騒音と無縁に暮らす私たちには考えられないほどの厳しいものだ。

 

沖縄では、まだ戦争は終わっていないと石原さんは言う。いや、私たちの暮らす本土だって、ほとんどの人が気づいていないだけで、終わってなどいない。あるいは終わっていたとしても、みじめな敗戦国で、かの国の支配下のままという状況だ。思いやり予算が一日あたり5億円に上るという。今日のcangaelさんのブログの情報によれば、NSAの諜報活動に日本の税金が使われているそうだ。

NHKクローズアップ現代「スノーデン極秘ファイル」と「スノーデン 日本への警告」(集英社新書) - 四丁目でCan蛙

 

現地に座り込みに来るという応援もあるけれど、家にいてもできる応援がいろいろあるので、ぜひ応援してほしいと、いくつかの応援手段も示された。内閣や防衛省、防衛局に抗議をすること。今日のような映画の上映会をしたり、周りの人に高江の話をして関心を高めてもらう。カンパ・・・。

 

やんばる東村 高江の現状ホームページ http://takae.ti-da.net/

チョイさんの沖縄日記 チョイさんの沖縄日記

 

映画のあと質疑応答で、参加者から活発に質問や意見が出された。上映権付のDVDの販売もあった。広く知ってもらうため、1500円という破格の値段だ。

 

このあと、せっかく近くまで来たのでお稲荷さんに寄ることにする。さすが風格を感じさせる鎮守の森!と感心するが、豊川生まれの友人によれば、伊勢湾台風でほとんどの木が倒れてしまったので、今ある木々はその後に植えられたものがほとんどなのだそうだ。かつては空がほとんど見えないくらいうっそうと木々が茂っていたとのこと。

 

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うなぎでもなく、豊川稲荷本体でもなく、思いがけないものが登場。

豊川稲荷のご祈祷申込所 前に、大正6年(1917)頃、豊川稲荷の私設ポストとして設置された「丸形庇付ポスト」。 この 「丸形庇付ポスト」 は明治45年( 1912)に造られた現役最古のもので、現在日本には2つしか無いという。

 

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現役の証明に収集時刻をパチリ。

 

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