よんばば つれづれ

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登場人物の誰かは自分自身『乱反射』貫井徳郎著

以前AO153さんが紹介していらした『乱反射』を読んだ。

相馬野馬追・オウム死刑囚の刑執行に思う・貫井徳郎「乱反射」 - A0153の日記

 

 

プロローグのあと、マイナス44章から始まって運命のゼロへと向かい、やがてプラスの数になり37章のあとエピローグで終わる。

 

たくさんの登場人物がいる。主人公は2歳の男の子のいる新聞記者加山とその妻。彼はマイナス44章で家族ドライブに出かけるのだが、妻はゴミの持ち出し日が翌日だからと車にゴミ袋を積み込み、加山はマナー違反を承知しながら、一回だけだからと心の中で言い訳をしつつ、途中のサービスエリアのゴミ箱にそれを捨てる。

 

プロローグで主人公夫妻の2歳の息子が亡くなることが明示されていて、マイナス44章の最後に、「後に加山は、この行為こそがすべての不幸の元凶だったのではないかと考えるようになる」とあるので、これから先多くの登場人物のちょっとした利己的な行為やモラルに反する行為が語られていくのだけれど、加山の行為とそれらがどう繋がっていって幼児の死に至るのかという興味をそそり、ぐんぐん読ませる。

 

道路の拡幅工事に伴う街路樹伐採に反対する主婦、ひどい腰痛のため屈むことが苦痛で、ついつい愛犬の排泄物の始末を怠る定年退職した男、忙しすぎず責任がないからと夜間診療のアルバイト勤務をし続ける医師、虚弱体質で年中風邪をひき、すいていて待ち時間が少ないからと常に夜間診療を利用する大学生、争いごとも上昇志向も嫌いで、「さして頭も使わず言われたとおりのことをしていればいい」から今の仕事を気に入っているという市職員。

 

このほか、車の運転が苦手にもかかわらず、周囲に押し切られて大きなSUV車に買い替えてしまうデパート勤務の女性や、強度の潔癖症のため、素手でものにさわれない造園会社勤務の男性などが登場し、さらにその周囲にさまざまな人間関係が広がる。

 

どの人もどこにでもいそうな平凡な人々であり、彼らのする利己的な行為も、誰でも一つや二つは身に覚えのあるようなことである。それらがまるで蝶の羽ばたきが嵐を起こす如く連鎖して、不幸な結果を導いてしまう。それゆえに、加山が新聞記者として事故の真相に迫るべく取材をしていく中で、最終的に直接の原因となった造園業者以外、誰一人「ごめんなさい」という言葉を口にする者はいなかった。これは訴訟社会が生んだ、索漠とした悲しい現実かも知れない。

 

さまざまな登場人物のどの人に親近感を覚えるか。あるいは反発を覚えるか。何人かでそんなことを話し合うのも面白いだろう。

 

上記には書かなかったが、私がこの物語の中で一番反発を感じ、事故の責任も重いと感じたのは、主人公加山の母親だ。加山の父親が脳梗塞で倒れると、母親は2歳の子を抱える嫁に当然のように看病を求める。事故当日も、夕方になって帰ると言う嫁に、病院で一緒に夕食を食べていけと彼女が誘い、帰りが遅くなったために不運にでくわしてしまうのだ。

 

小さな子を抱え、自分に大変な気を使っている嫁が、一日姑と一緒に狭い病室にいたのだから、家に帰って親子だけで食事をする方がいいに決まっているのに、なお引き留め、あいにくの強風の日に薄暗くなった中を帰した加山の母は、非常に罪深い。

 

しかし、関係者をたどって歩き執拗に対象者の行為を糾弾する加山も、自分の母親には全く触れていない。

 

ネグレクトや虐待はもちろん問題だけれど、子離れできない、自分の果たしえなかった夢を託す、親孝行を強要する・・・といった親も問題だ。このタイプの親は経済力はある場合も多く、またこうした行為は虐待などと違って美しい親子愛のように美化されやすいため外からは見えにくいが、子にとっては結構重い問題であることも少なくない。

 

かつて私も重苦しい家風の旧家の長男の嫁だった。そして今は姑だ。なるべく重荷にならず、息子たちには自由に生きたい人生を生きてほしいと願う。そのためにも、なるべくいつまでも、元気で自立して、私は私の人生を楽しんでいる人間でありたいと思う。なるべく、いつまでも、できることなら・・・。

 

 

ところで、この『乱反射』、妻夫木聡さんと井上真央さんでドラマ化され、この秋放送されるとか。はたしてどんな作品になっているだろう。

 

 

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昨日の投函風景

 

 

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