よんばば つれづれ

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浅田次郎著『黒書院の六兵衛』はthe LAST SAMURAI

以前雲龍さん(id:umryuyanagi104)が感想を書いていらした『黒書院の六兵衛』。雲龍さんに「此処まで昇華された武士道は筆舌に尽くしがたく感無量」と言わしめた武士にとても興味が湧き、いつか読んでみたいと思っていたもの。

 

雲龍柳さんのレビュー:

http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/searchdiary?word=%CF%BB%CA%BC%B1%D2

 

 

江戸城無血開城が決まってから、天皇江戸城西の丸の表御殿黒書院にご着座なさるまでの10か月ほど、西の丸御玄関にほど近い「虎之間」に始まって「御書院」まで徐々に部屋を変えながら、どんなご馳走を並べようと握り飯と香の物しか口にせず、横にもならず、石のごとく、ひたすら御書院番として座り続けた的矢六兵衛という男と、その男を排除するよう勝安房守から仰せつかった、にわか官軍御手先の加倉井隼人の物語だ。

 

中心人物2人は架空の人物だけれど、周辺には勝海舟西郷隆盛、福地源一郎など多くの歴史上の人物が登場し、いかにもこの人はこうであったろうなと思わせる、効果的な配し方である。

 

中心人物の片割れである加倉井隼人は尾張藩の徒組頭。さして身分の高い武士ではないが、生まれてから何度も行ったことのない尾張の御城と違い、江戸で生まれ育った隼人は江戸城や江戸の町に愛着があり、その江戸が戦場になって焼けてしまったりすることは何としても防ぎたいという強い思いがある。

 

もう一方の的矢六兵衛は、ある日突然別人が入れ替わってしまったという謎の人物である。夫婦と子供2人が別人に替わり舅姑は元のまま。周囲の人たちもいぶかしく思いながらも、以前の六兵衛が箸にも棒にもかからないようなろくでもない人間だったのに、新しい六兵衛は体格も立派なら武士としての心得も作法も申し分がなく、良いことはあっても悪いことは一つもないので、みな何事もなかったかのように見知らぬ人物を的矢六兵衛その人として受け入れている。

 

安房守からはいずれ天皇様の御座所となる江戸城は決して血で汚してはならぬと言われ、なんとか穏便に六兵衛を退出させるために、隼人はかつての六兵衛を知る人たちから話を聞く。こうして章ごとに語り手が変わる形で話が進むのだが、六兵衛の謎はますます深まっていくばかり・・・。

 

 

太平の世が何百年も続き、武士の存在意義は薄くなって堕落し、おまけに幕府からの手当ては変わらないのに物価は何倍にもなって、どの家も台所は火の車、借金だらけである。的矢家は当主六兵衛がぐうたらなためとりわけひどく、裕福な嫁の実家に頼り切っていたため、義兄に代替わりしたとたん借金のかたとして売られる羽目になる。

 

なんだか時代背景が現代と重なるような気がする。多くの人が金に追われて、本来の職分や気概を忘れてしまっている。そんな時代に四千両もの大金を投じて武士の身分を手に入れた六兵衛という人物。幕府は今や風前のともしびよりもはかない存在だ。そんな時に武士になるなど、どぶに金を捨てるようなものだ。しかもその金は濡れ手で粟をつかむように作ったものではない。その証拠に、六兵衛は威風堂々の体つきには似つかわしくない、老人のような手をしている。これほどの手になるにはどれほど働いたものだろう・・・と思わずにはいられない手をしているのだ。

 

 

 天皇と六兵衛が対峙する終盤の場面は非常に美しく、この部分を味わうために今まで上下二巻の長い話を読んできたのだ、と思うほど感動的だ。

 

ろくに眠らず食べず、それでもやつれもしなければ髷も乱さず常に凛と座しているという人間離れしたありようや、武士としてあまりにも完ぺきすぎるため、もしかしたらこの六兵衛というのは生身の人間ではなく、何百年か遡った江戸時代初めの頃、まだ武士が武士らしかった時代の霊のようなものではあるまいかとも思う。

 

六兵衛の同僚で、同じようにまだ武士の精神を持っている津田玄蕃という人物が語る言葉が心に残った。

 

”誰かがなさねばならぬ務めを誰もやろうとせぬのなら、おのれが進んでなさねばなるまい。また、誰かがなさねばならぬ勤めをみながやりたがるのなら、おのれは引き下がらねばなるまい。それが武士たるものの心がけでござろう。”

 

 

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