よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

水の話でいただいた、皆様からのコメントに感謝

昨日のエントリを書くときには忘れていて、私がずっと水は水道水でいいと考えていたように書いたが、実は子供たちが家にいた頃はハーレーという浄水器を使っていたのだった。

 

カートリッジ交換型でないことや、何かに発表された浄水器の性能テストの結果が割合良かったことから選んだように記憶している。ただ、カートリッジ式でないため、定期的に高温水によるバックウオッシングが必要で、これが結構面倒だった。

 

やがて子供たちは巣立ち、浄水器の寿命も来た。かなり高価なものだったのでほかのメーカーのものの購入も考えたが、私一人ならなしでもいいではないかと思い直し、その後は浄水器を取り付けないままになった。その代わり、直接飲む水だけでもと、ブリタという当時評価の高かった浄水ジャーを購入した。

 

家事をする人なら分かると思うが、水というのはきれいそうなのに、なぜこうも水回りは汚れるかと呆れるほど、すぐにぬめって不潔になる。使ってみると、この浄水ジャーも同じで、かなり頻繁に洗わないといけない。浄水機能を持つだけに、単なるジャーを洗うように簡単にはいかない。で、結局、気にはなるけれど横着な私は使わないでしまい込み、この間、食器戸棚を買い替える際の台所の整理時に処分してしまった。

 

皆様のコメントを読むうちこのようなことを思い出し、もう20年以上前からなんとなく水道水に不安を感じていた自分に気付いた。子供たちが巣立った後母が我が家に来たけれど、年寄り二人、それも女同士という気楽さもあって、栄養面は気にしても食の安全性という点にはすっかり無頓着になった。

 

かつて新婚の家に青森の舅が来た時「東京の空気は臭い」と口にし、私は内心なにを大げさなと思った。ところが、やがて自分自身が青森の住民になり、たまの里帰りの時に姉の家に寄るため東京で途中下車すると、深く息を吸うのも躊躇われるような感じがした。木々の緑も濁って見えた。舅の言葉が大げさでも何でもなかったことを理解した。(これは何十年も前のことなので、今のほうが排ガス規制等できれいなのかもしれません。)

 

だから、15年の青森暮しのあと帰郷してこの地で子供たちを育てるにあたって、水や食べ物に不安を感じたのだろう。最初のうちはゼロからの仕事再出発で余裕がなくどうしようもなかったのだが、ある程度のめどが立ってからは、浄水器を使ったり、無農薬野菜購入の会に入ったりした。

 

今も子や孫が帰省するとなると買い物も気を付けるが、一人ならなんでもいいやという気分でいた。しかし長生き志向はなくても、今の自由で気楽な生活を続けるためには、自分のことが自分でできる状態でいなければならない。誰かの世話になれば、何かしら我慢しなければいけなくなる。

 

そんな訳で、ナナホシさんのブログや寄生虫博士の本を読んだのをきっかけに、せめて直接口に入れる水を替えることと、常々水分の摂取量が少ないであろうことも自覚していたので、もう少し積極的に水分を取るように改めた。

 

情報過多の時代だ。玉石も混交混淆だし、専門家と言えどもお金のために企業のお先棒を担ぐこともある。怪しげな情報に踊らされて嫌な思いをしないようにとの、思いやり溢れるコメントを何人かの方から頂いた。少々自己弁護ぎみな返事をしてしまったかも知れないけれど、おっちょこちょいな私には、「ちょっとちょっと・・・」とのお声掛けは大変ありがたい。これからもなんとか、ありがたいアドバイスをいただきながら、ネットの情報の海を溺れないように泳いでいきたい。

 

 

今日の一枚。

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写真撮影をしていると通行人の視線が集まるので、そちらが目的の写真撮影。ジャンプの一瞬を撮ろうと考えたはいいが、跳ねる方も撮る方も年寄りゆえなかなかタイミングがうまく合わない。

 

そこに丁度”言いだしっぺ”のかつての教え子の男の子が通りかかったので撮影を頼んだ。すると「こういうときは連写を利用するといいんです」とのことで、みごとな?瞬間を捉えることができた。

 

今までiPhoneの人に撮影を頼まれ、そうするつもりもないのにカシャカシャカシャと連写になってしまって慌てることがあったが、こういう時に利用するなど思いつきもしなかった。若い人とは付き合うものである。”言いだしっぺ”と、やはり頭が固くなっているのかしらねと嘆き合った。