よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

気になってしまう、今「を」輝いていますか?

我が家にはカレンダーがない。数年前までは、一つだけ気に入ったものを買って掛けていたが、かえってカレンダーに書き入れた予定を手帳にうつし忘れたりする失敗があって、思い切ってカレンダーを止め、手帳だけでスケジュール管理をするようにした。

 

ただ、一つだけ例外がある。洗面所に毎年同じような小ぶりのカレンダーを掛ける。青森の友人が自分のお店の名前を入れたものを、毎年暮れになると自家製のお米や郷土の特産品などと一緒に送ってくれるのだ。跡継ぎのいない彼女とご主人が店じまいをする時が来ると、いよいよ我が家は完全にカレンダーなしになる。あるいは、私が手帳などいらない生活になって、「一つだけお気に入りのカレンダー」が復活するかもしれないけれど。

 

その洗面所のカレンダーに、ドリームの調子が悪くなってから排泄の時間などを記録している。トイレに連れて行くタイミングを忘れないためと、「大」のほうはあまり順調でないので、体調管理のためもあって付けている。

 

その記録を付けているとき何気なく今月の絵に目をやって、気になってしまった。

 

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今「を」輝いていますか?え?今「を」ときたのなら、「輝かせていますか」と続けるべきではないだろうか。「輝いていますか」としたいのなら、「を」を抜いた方がぴったりすると思う。

 

 

今日市民館から借りてきた本が井上荒野さんの作品で、父上が井上光晴というので、そういえばこの人はどんな作品を書いたのだっけと思って調べた。Wikipediaの「井上光晴」の解説の文章を読んでいたら、またまた出くわしてしまった。

 

井上光晴が1989年に癌告知をされたことにより、晩年を密着する映画となった”

 

晩年「を」密着する?

 

 

バイとかエグイとかいった言葉も気にはなるけれど、それ以上に気になるのが近頃のこうした助詞の乱れだ。NHKのニュースのテロップでは、絶対に必要な助詞を、しかも字数に余裕がある時ですら、抜いていることが珍しくなくなった。小学校から英語教育をして、グローバル人材を育成するので、日本語の面倒な「助詞」などもうどうでもいいのだろうか。

 

”コンビニで高級なスイーツが売っています”という言い方も、もはや当たり前のようになってしまった。意地悪な私はつい「えっ?スイーツさんが何の売り子をなさっているの?」とツッコミを入れていたが、近頃はあまりに多すぎて、いちいち突っ込んでいる暇もないほどだ。

 

 

少し前に、東京オリンピック招致に多額の賄賂が贈られていたらしいというニュースが流れた時、スタンディングだったかママの会のほうだったか忘れたけれど、フェイスブック上で、「もう東京オリンピックは中止でいいです」とコメントが入った。そうしたらその後に、「中止〈が〉いいです」と入り、それから続々と中止「が」いいですというコメントが続いて、とても嬉しかった。

もちろん私も「が」で投稿した。