よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

八路軍に強制抑留され戦闘員となった少年の記録『大陸流転』

先日行った満蒙開拓平和記念館で、仲間が求めてきた本が回って来て読んだ。著者は長野県旧富草村から、昭和15年10歳の時に両親と渡満。終戦に伴い逃避行、収容所生活を体験し、途中八路軍に抑留され8年間の長きにわたって戦闘に参加させられた。昭和28年8月に日本に引き揚げて来た時には24歳になっていた。

本には副題として「ふたつの戦争」と付いている。これは著者が開拓団の子供として関わった太平洋戦争と、戦闘員として参加させられた、毛沢東蒋介石による中国における戦争とを指す。毛沢東蒋介石が権力争いをした結果、二つの中国が生まれることになったと学校で習った記憶はあるけれど、そこに日本人が兵士として強制的に参加させられていたことは今回初めて知った。


著者の父親は貧しい小作農で、四男一女の5人の幼い子供達を抱え、内地での先行きに希望が持てず、ときの国策「10ヘクタールの畑と馬や牛までが手に入る」という夢のような話にのってしまう。親や親せき、周囲の大反対を押し切って妻子を連れ渡満。新たに一男一女も生まれ、何年もの苦労のかいあって満州での農業もなんとか軌道に乗り、このままいけば豊作間違いなしというところに来ていた。昭和20年の6月である。どうも周りの様子がおかしい(軍部や特権階級は退避を始めていたが、一般の開拓民には何も情報がなかった)と思っているうち、父親に召集令状が届く。

父親を失った家族に、日本の形勢不利を知って中国人たちが反旗を翻す。北からはロシア軍も侵攻してくる。豊かな取入れができるはずだった農地を手放し、バタバタと家財を整理して一家の逃避行が始まる。15歳の著者を頭に乳飲み子までの5男2女を連れての苦しい行軍になるのだが、小さな子は大変だから育ててあげるという中国人の申し出をことごとく著者の母親は断る。

そうして決死の逃避行、たどりついた方正での地獄のような収容所生活の中で幼い弟や妹を失い、自身も途中で八路軍に抑留される運命になる。やがて朝鮮戦争も勃発、そちらに回されていればおそらく著者も生きて祖国に帰ることはなかっただろうと書いている。

10歳という年齢で日本を離れ、15歳で一家の柱の男性として母親や兄弟を支え、生き地獄の逃避行や収容所生活、戦闘を経験した著者。16歳から24歳までの8年間、まさに青春時代を抑留生活に費やすことになった。国に運命を翻弄された半生と言っていいだろう。いま平和で自由な時代に、みずから戦闘の中に身を置きたいという若者が出現したことに愕然とする。

日本に戻ってからはずっと役場で働き、商工会事務局長や町会議員などを務め、順調な日々を送っていた著者が、「むしろ世に知られたくない」と思っている過去の体験を本にまとめようと思ったのは二度と再び戦争は起こしてはならないという強い思いから、とのこと。平成17年の出版なので、いまはさらにその思いを強くしてみえることだろう。