よんばば つれづれ

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『一九四五年の少女』澤地久枝著

ー私の「昭和」−と副題にあるように、『妻たちのニ・二六事件』を始めとして数多くの戦争にまつわるノンフィクション作品を著してきた著者の、戦後昭和の総括のような本である。

敵であるアメリカ兵の遺族から、戦争中に自分と同じような少女期を過ごしたドイツ女性に会いに行く。政治的主張とその影響力故に殺されたビクトル・ハラの墓を探して南米チリへ、はたまた沖縄の女性たち・・・と、著者は何かに追いたてられるように苛酷なスケジュールで世界中を取材する。

掘り出されてくる話は、当然ながら辛い話ばかりである。私が読んだ本の発行は1989年となっている。世はバブルまっただ中だろうか。こんな辛い作業には背を向けて、時代とともに享楽をむさぼることもできた。一時期、今で言うコメンテーターとしてしきりにテレビに出演していた著者であるし、もうすでに十分すぎるほどの著作も生んでいた。

それでも彼女は昭和の戦争と向き合い続けた。雨どいや如雨露の口まで供出金属一覧に記入される苦しい戦況と圧迫される庶民の暮らし、最年少14歳の戦死、沖縄の過酷な運命、正しいことを主張したために村八分に遭った少女・・・。けれども著者の筆鋒はそうした被害者の面だけでなく、容赦なく天皇にまで迫っていく。


著者の厳しい生き方も胸に迫るが、私が一番感銘を受けたのは、著者と同じ1930年生まれのドイツ女性エリーの言葉だ。「私たちは今日でも、人間に対して、その運命に対して、とても深い罪を犯したという気持ちをもって生きています。当時私が子供であったとはいえ、この国の一員だったのであり、その罪の意識をとても強く感じさせられました・・・」

この取材を受けた時、エリーはごく普通のドイツの婦人だ。戦争中は彼女も口減らしのためメード兼子守として働きに出され、辛酸も舐めている。それでもこの重い加害者としての言葉である。日本がいまだに近隣の国から昔のことで責められるのは、こうした点もあるのではないかと思わざるを得ない。もちろんそれは個人の問題ではなく、教育の影響だろう。きちんと事実と向かい合わない限り、先に進んでいくことなどできないのだ。

日本では、児童文学者佐野美津男氏の『浮浪児の栄光』に触れている。その本の「あとがき」で、「原爆だの、空襲だの、戦死だのといっても、そのすべてを数えても、日本人の死者よりも日本人によって殺された死者のほうが圧倒的に多いのだ。そういう事実を忘れてはならない。日本人が仕掛けた戦争によって殺された人びとのことを考えるならば、こちらの死者のことなどは、ひっそりと悲しむぐらいしかゆるされないのではないかと、わたしは死んだ家族をしのびながらも思うのである。ましてや、自分も戦災孤児として苦労したから戦争の犠牲者だというふうには、思うことさえ失礼であろう」と書いているそうだ。なんという厳しい態度であろう。

『浮浪児の栄光』は初版の1万部が売り切れたあと、初めは出版社の意思で、のちには著者の意思で増刷はされず、入手困難なままだったと言う。この方ほどの自身に厳しい生き方は無理だとしても、ドイツの普通の生活者が責任を感じる程度には、わが国でもきちんと近現代史で自国の引き起こした戦争について教えるべきではないか。

澤地久枝さん、1930年生まれ、9月で84歳になられた。現在はどのような日々を過ごしてみえるのだろう。Wikipediaによれば2009年の佐高信さんとの共著が最新の著作になっている。もう本をお出しになることはないのだろうか。