よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

沖縄県東村高江

またひとつ、胸が苦しくなることを知ってしまった。ドキュメンタリー映画『標的の村』(監督:三上智恵)を見た。

日本は未だにアメリカの植民地じゃないか。
それが沖縄の現実だ。
その最も象徴的な理不尽さに闘いを挑んでいる
東村高江の人々。
米軍の軍事訓練の標的にされながら
生活するその苛酷な日常は
殆ど報道されず、黙殺されている。
この映画はそれを訴える。
これは僕らの現実でもあり
高江の人々の闘いは僕らの希望なのだ。

これはこの映画のパンフレットに掲載された、ミュージシャン遠藤ミチロウ氏の言葉だ。


私たちは沖縄にアメリカ軍基地が異常に多く集中していることは知っている。74パーセントという数字は知らないまでも。でも、自分たちの暮らしを守るために、オスプレイ着陸帯建設に反対して座り込みというごく穏当な手段を講じた人々が、国から(!!!)「通行妨害」の罪で訴えられ、裁判で闘っていることなど全く知らなかった。同じその人たちの住む土地に、かつて「ベトナム村」というものが造られ、米兵の訓練のために、高江の人々が(小さな子供まで!)ベトナム人の役をさせられていたということも・・・。

私たちは、どこまで沖縄の人たちを踏みつけにすれば気が済むのだろう。申し訳なさに胸が震える。何も知らずに暮らしてきた罪深さは、どうしたら償えるだろう。まずは知ること。まだ知らない人に知ってもらう努力をすることか。

この映画は、沖縄の東村高江という緑濃い地で、まだ幼い子を含む6人のお子さんを育てる安次嶺現達さんを中心に、高江の集落を取り囲むように造られようとしているヘリパットに反対する人たちの闘いを追っている。制作は琉球朝日放送で、映画の中に撮影している制作スタッフも警察官に取り囲まれ、排除される様子が写っていて、ここにはまだジャーナリストが生きている!という思いがする。

けれども、反対運動をする住民や製作スタッフを力づくで排除しようとしている警察官たちもまた、沖縄の人たちなのである。偉い人たちは現場には不在で、結局同じ沖縄の人同士が対立し闘う運命になっている。そこにまたもう一つの沖縄の不幸がある。反対派住民が呼びかける。「もうこんなこと止めて家に帰ったらどうだ。うちなんちゅどうしでこんなことして・・・。ばかばかしいだろう」。言われる警官たちの胸中はどうだろうと思うと、この騒動のむごさが胸に刺さる。もみあっている「うちなんちゅ」同士の後ろにチラッと笑っている米兵が一瞬映り腹が立った。けれど一番悪いのは彼らでもない。沖縄の人同士を争わせているのは誰なのだ。私は関係ないと言えるのか・・・。


唯一の地上戦の場所となった時から、小さな島々に日本の矛盾や不幸を一手に引き受けて来た沖縄。毎日の、仕事をし、食事をし、子供を育て・・・という当たり前の暮らしを営みながら、泊まり込みの座り込みや建設の監視や、国を相手の裁判までもこなさなければならない人々。けれども決して悲壮になることなく、仲間で語らい、食べ、飲み、歌う。建設作業の入り口封鎖のために車を連ね、座り込みをしている場面で、車の運転席の若い女性が、力強い声で沖縄の歌を歌う場面が印象的だった。

お涙ちょうだいで感動的に作られたフィクションより、はるかに胸をゆさぶる作品だった。まずは一人でも多くの人に沖縄の現実を知ってもらいたい。報道されていないことがこの他にもいっぱいあることだろう。

明日9月7日は新城文化会館で上映会があります。10時、13時30分、17時の3回。1000円です。


「やんばる東村 高江の現状」サイトもあります。 http://takae.ti-da.net/