よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

見ている人の状況

昨日最近の2時間ドラマがつまらないというようなことを書いた。けれども考えてみたら、そもそもテレビというものは、劇場という特殊な空間で集中して見る映画と違って、どんな状況で見ているかという条件が、家庭により人によりまちまちだ。時計代わりにテレビをつけて、身支度したりご飯を食べたりしながら見ている人もいるだろう。家族にいろいろ声をかけながら、洗面所とダイニングを行ったり来たりしながら・・・という人もいるかもしれない。

かつては私も同居の家族がいて、朝は慌ただしい時間だった。その頃に朝ドラを見ていたら、ストーリーの破綻だの時代背景との矛盾だのといったことに注意が向いたりしなかったかもしれない。2時間ドラマにしても、家族がいれば2時間何の中断もなく見られる可能性は低い。「お茶!」と言われて立つ人もいるだろうし、チャイムや電話が鳴るかも知れない。

展開が少し冗長だったり、セリフが説明過剰だったりするのは、そういう人たちがちょっと見るのを中断している間に、ストーリーがすっかり判らなくなって見る気が失せたりしないようにするためのサービスかも知れない。

気短な私は、「プロのくせに、こんなストーリーを書くなんて!」とよく呆れるが、プロだからこそ、そうした様々な状況の人がまんべんなく楽しめるように配慮して、意図的にそうしているということもあり得る。朝ドラとか2時間ドラマには、そうした制約が強いのかもしれない。そう考えれば、プロの脚本家が素人に呆れられるような話を書くことにも納得がいく。

私は気ままな一人暮らしになったため、「今日はこのドラマを見よう」と思えば、その時刻までに諸事を片付け、なんならコーヒーまで準備してテレビの前に座ることができる。そして「お茶!」と言う人もなく、一人ゆえチャイムや電話が鳴る確率もその分低く、じっくり鑑賞することが可能だ。

そうして、ストーリーの破綻だの矛盾だの言葉遣いがおかしいのと、イチャモンをつけたくなってしまうのかもしれない。だから、かつては結構楽しめていた2時間ドラマが、ぬるいものに感じてしまうのかもしれない。


以前Jリーグが開幕するとき、プロ野球関係者は青くなった。サッカーに人気を奪われてしまうのではないかと。全盛期に比べれば多少野球人気に陰りはあるかも知れないが、結果的には恐れたほど凋落しなかった。その一因に、野球というスポーツがテレビ向きだから、ということがあるようだ。晩酌しながら肩の力を抜いてのんびり見るのに合っているから(おまけにCМも入れやすい)。

それに比べてサッカーは、ちょっとビールを注いでる間にシュートが決まってしまうかもしれない。それまで30分集中して見ていても、ほんの一瞬目を離した途端ゲームがひっくり返ってしまったりする。いくらビデオでリプレイを見せられても・・・。

子供の頃、夕方母が相撲を見ていたので子供の私も見ていたけれど、どうして相撲ってこうまだるっこしいのだろうと思った(この頃からやっぱり気短)。そうして大人になってから、家で仕事をしながら相撲を見ていた時に知った。かつてまだるっこしいと感じた「しきり」が、ながら見にはちょうど良い間合いになっているのだと。観客の歓声が大きくなったら時間いっぱいということで、顔を上げて画面を注視すれば良い。あの頃、母は繕いものだったり雑巾だったり、何かしら縫い物をしながら相撲観戦していたっけ・・・。

テレビに料金を払う気がない(もちろんNHKの受信料は払っています)のなら、自分の好みに合うものだけを見れば良いのだし、録画して、いらないところを飛ばしながら見るというようなこともできる時代なのだから、工夫すれば良いのだと今更だけれど思い至る。




でもやっぱり時々重箱の隅をつついてしまうかもしれない。お気に障ったら、気短で狭量な奴と笑ってお見過ごし下さい。