よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『ゆれる』登場人物の心も見る側も・・・。

GyaOの無料映画で『ゆれる』を鑑賞。オダギリジョー香川照之の好演もありとてもいい。もちろん脚本、演出がいいから役者の力が十二分に引き出されているのだろうけれど。

公開時話題になった作品だしストーリーには今更触れないが、結構肝心なところやあれこれが見る側の想像に任されていて、監督の心の中のストーリーはどうだったのだろうと考えさせられる。

私にとってはこれは兄弟の確執ー嫉妬、の物語だった。容姿や能力に恵まれさっさと煩わしい田舎を捨てて、カメラマンとして自由に生きる弟に兄は嫉妬している。一方的に兄の側が・・・と思ったのだが、監督が書いている書籍では、兄が子どもの頃病弱だったため両親の関心が兄に向いがちで、弟は兄に嫉妬心を感じていたことに触れていると、ある方のレビューで知った。はたから見れば恵まれていると見える弟も、兄のまじめさに比べ、自分のいい加減な生き方もコンプレックスだったのかもしれない。

弟は事件の決定的瞬間を見てはいないと思う。けれども亡くなった女性(真木よう子)に対する兄の思いを知りながら、というかむしろ知ったからこそからかい半分で抱いた、その結果事件が起きた。事故でも事件でも兄をかばわなければという責任を感じたろう。殺人者の弟になりたくないという気持ちももちろんなくはなかったと思う。

けれども面会に行くたび兄は弟を挑発する。唾を吐きかける。お前は人を信じたりなどしない人間だと言う。優しくまじめだと思っていた兄の、思いがけない凶暴さや悪意を見て弟の心は揺れ、証言台に立った時、兄が有罪になる証言をしてしまう。

けれども弟が自分に決定的に不利な証言をしたその瞬間、被告人席の兄はうっすらと笑みを浮かべている。あれは自分の作戦が見事に功を奏したからではないか。

どの時点からかは分からないが兄の心もまた揺れて、殺人犯になってでもそれまでの自分の人生から逃げ出したくなったのではないだろうか。強権的で自分をいいように使う父、女手のない家で家事一切も彼の肩にかかっている生活。嫌な客、理不尽な客にもペコペコと頭を下げなければいけない商売。親思いの優しいいい人を演じて来てしまった兄に、波風立てずにその生活から抜け出す道などあるはずがない。

ラストシーン。激しく車が行きかう道路の向こう側には刑期を終えて出所しバス(たぶん家とは反対の方向に向かうための)を待つ兄。弟はこちら側から何度も兄に呼びかける。「家に帰ろう」と。騒音で聞こえないのか、聞こえないふりをしたいのか・・・。何度目かに兄は弟を認め笑みを浮かべるが、そこにちょうどやって来たバスが画面を遮り映画は終わる。

このラストもたまらなくいい。バスが去ったあと、兄はいたのか、いなかったのか。あなたならどうこの後の物語を紡ぎますか?と見る側にゆだねられる。

私は、つらいけれど(ってことはオダジョーの気持ちに寄り添ってる?)いなかった、と思います。