よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

パワーハラスメントからの脱出

年明けに提出した辞表がやっと受理された。「俺の言うことを聞けんヤツは辞表を出せ。俺は辞めるという人間を今までも一度も引き止めたことはないし、これからも止める気はない。いつでもすぐ受け取ってやる」と折りあるごとに言っていた社長は、引き止めていることを他の社員に知られないように、「夜自宅に電話していいか」というメモを決済を求める書類につけてよこした。今回は辞表がもしなかなか受理されず後任への引継ぎが時間切れになったとしても辞める覚悟で、退職希望日の二ヶ月以上も前に提出したので、「気持ちは変わらない、したがって話すこともない」旨のメモを私も書類につけて返した。

2日ほどして認めざるを得ないと思ったようで、その日の営業会議の席で男性社員たちに発表する、来週から後任の募集も開始すると伝えてきた。私のほかに女性社員はひとりだけなので、その人には私から辞めることを伝えた。驚いている彼女に「二年前にも一度辞表を出したのよ。パワハラ真っ最中の時に、こんな屈辱的な思いをしているくらいなら貧乏してもいいから辞めようと思って」と言うと、いつも自分のことで精一杯であまり周囲のことには気付かないでいることの多いタイプの彼女が「すごかったですもんね」と言った。しかも彼女の席は私や社長とは一番離れた場所にある。その彼女さえ「すごい」と感じていたのだと知って、私は当時の社長のハラスメントがかなりのものだったのだと改めて思った。

そんな嫌がらせに私は2年間耐えた。我が儘でこらえ性のない私だけれど、さすがに還暦近い年齢になって次の仕事はないだろうと思い耐えた。そして「第一次定年で給与も下がることだし、もうこの屈辱は我慢できない。自分に落ち度があるなら仕方ないが、社長の虫の居所次第で皆の前で当たられるのはもうたくさん」と思い、60歳目前の時に辞表を出した。当然すんなり受け取られるものと思っていたのに、意外にも社長は他の社員に分からないよう(この時も私が自宅への電話は拒否したため)こそこそと説得してきた。理由もなく怒鳴られて過ごすことに耐えられないと言うと、これからは改めるからと言うので留まった。実行されなければそのとき辞めるまでだと思って・・・。そして実際その日からハラスメントはぴたっと止まった。


あれから2年。パワハラはないが一旦消えてしまった会社への愛は復活しない。社長への敬意も戻らない。若い女性だと思っていたのに、見方を変えてみると魔法使いのような老婆だったというだまし絵が、一度老婆と分かってしまうともう老婆にしか見えないように、なんの憂いもなく働けていた頃の自分が信じられない気さえする。何を、どこを、見ていたのだろうと。



学校で、職場で、日々いじめや嫌がらせで辛い思いをしている人がたくさんいることでしょう。どうぞそこだけが自分の居場所、ここしか居る所はないと思い込まないで。
違う方向に一歩足を踏み出してみれば、まるで違う景色が見えてくるかもしれません。
そばにいる人にも助けを求めて。
周りの人も、辛い思いをしていそうな人がいたら注意を払ってあげてください。
声を掛けてあげてください。
人生とは重き荷を負うて遠き道を行くが如しという言葉もあるように、生きることは決してラクで楽しいことばかりではありませんが、人の世の問題は人の世で解決できるはずです。一人では難しくてもそばで心配してくれている人と力を合わせれば、きっと脱け出す道はあるはずです。


春になったら、私は勤めている時にはできなかったことにチャレンジします。
お金はあまりありませんが、ゆっくり自由な時間を味わおうと思っています。