よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ガラスの天井・鉄の天井の違和感と無為な一日

言わずと知れた、小池百合子さんがパリで発した言葉。聞いたとたんに違和感を感じた。現在では、女性に限らずマイノリティ全般を対象にするらしいが、もともとこの言葉は、能力があるのに女性だということが障害になって相応の地位に上っていけない状況を表す表現だった。

 

けれども、小池さんとか、ついでに言わせていただけば、今回の選挙で最も早く当確の出た人の一人であろう稲田さんなどは、そもそもガラスの天井というものが存在したのだろうかと思う。むしろ、女性だからこそ(そしてさらにハラスメントなどの誹りを恐れず言えば、見た目もそこそこだから)、あのキャリアであの地位まで行けたのではないかと思う。

 

女性であることすら自身を演出する武器にして都知事になり、風を起こして都議選に勝利した小池さんに対して、ガラスの天井を破った!と感じた人は少ないのではないだろうか。

 

まして今度の衆院選で「改めて鉄の天井の存在を知った」だなんぞと、責任転嫁も甚だしい。自身のおごった気持ちから出た失言の数々が、せっかく、周囲に集まった政治家たちや、応援する人々にかけていた催眠効果を霧消させてしまったにすぎない。

 

また一方では、その女王様にひれ伏して威光のおこぼれにあずかろうとした人たちが、あっという間に舞台が暗転して端役となるや、女王様の独裁のせいだと恨み言を言っている。これもまた実に情けない。こういう時にこそ言うのではないだろうか、「自己責任」と。

 

 

さて、今週は珍しく週半ばまで何の予定も入っていない。昨日は思い切り落胆に浸り、今日から心機一転、のつもりではいたのだけれど、何の予定もなくパソコンやら読書やらで過ごしていると、食事どきに台所に立っては思う。何もしていないのになぜおなかがすく?私が生きていることに何の意味がある?

 

たいして役に立てていない民生委員だけれど、私にとっては現在これがありがたい自分存在の意味になっている。いまどきなかなか引き受け手はいないから、私がいないとたぶんちょっと困るだろう。頑張らねば、と思える。

 

だんだん、こうして存在の意味を考える時間が増えていくのだろうか。人のために働くことができなくなったら、どこに意味を見出せばよいのかと、ちょっと心配になる。その点、大変ではあったけれど、子育て中は幸せだった。幼い子供は「お母さん、命!」みたいな熱い目で見つめてくれたものだ。

 

私の幸せ、生きる意味は、必要とされること、らしい。死ぬまで必要とされていることなど、できるだろうか・・・。

 

 

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猫のように、生きられたら!

無理だ。猫は存在するだけで愛らしいもの。ヒトは困ったものデス。