よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

命の火が消えるということ

いつも読んでくださっている方は、タイトルを見ただけでもうお分かりだと思うけれど、我が家の100歳猫がとうとう旅立った。見送ってから眠り、そして朝を迎えたので昨日のことのように感じるが、今日の午前零時四十分のことだ。

 

一昨日の朝以来排尿もなく、昨日はもういつ逝ってもおかしくないような状態で、ほとんど終日私の腕の中にいた。あまり抱かれていてもかえって疲れるだろうかと心配になって、少しソファやベッドに寝かせた程度だ。

 

元気だったころよくテーブルの上に乗って外を覗いていた窓の所に連れて行くと、まるで目が見えているかのようにじっと外を見つめた。孫ができる前は猫たちを少し外に出していたのだけれど、神経質な彼女は我が家から半径数メートルの範囲から出ようとはしなかった。気に入っていたのは、2階への階段の踊り場の1メートル以上ある手すりの部分に飛び乗って、下の景色を眺めることだった。孫ができて以来衛生のために彼女たちを外に出さなくなったのだが、昨日は15年ぶりにそのお気に入りだった場所にも連れて出た。するとそこでも、懐かしい景色が見えているかのようにじっと見つめていた。

 

午後、抱いていても鼓動も伝わって来ず、電気のひざ掛け越しには呼吸をしているかどうかも分からない。それで心配になって時々ひざ掛けを上げてのぞいて見ると、胸が浅くかすかに動いている。名前を呼び掛けると手を少し動かしたり、ちょぴり声を出したりして大丈夫、まだ生きてるよとばかり応えてくれる。それだけするのにも、きっと全力を使っているに違いない。

 

何度こんなことを繰り返したろう。もう抱いて水を飲ませても飲まず、私の指に水を付けて口に持っていっても舐めようともしない。この一週間から十日ほどはろくに食べていない。ここ数日は水も大して飲んでいない。なのに一キロちょっとしかない小さな体の、どこにこんなエネルギーがあったのだろうと不思議に思うほど、いつまでもいつまでもかすかな息を繋いでいる。私には「だって、まだちい兄ちゃんに会ってないもの・・・」と気力を振り絞っているように思えた。

 

だから私は「もういいんだよ。ちい兄ちゃん(次男)はまだ来る予定も立ってなくていつになるか分からないから、とても待てないよ。苦しいのにそんなにがんばらなくていいのよ。もう十分頑張ってくれたんだから」と何度も言い聞かせた。

 

夕方にはいよいよもう虫の息。そんな中、ふだんはあまり電話も鳴らないのに、昨日に限って小学校時代の恩師を始め何人もの方から電話があり、彼女を抱いて電話に応えていた。終わるたびまたそっとのぞくと、やっぱり浅い呼吸は続いている。今夜も心配な夜を明かすのかと思いながら、寝室には行かず、夜明かしになってもいいという気持ちでずっとそばに付いていた。

 

日付が変わってしばらくした頃、急に発作のようなものを起こした。苦しそうで可哀想で、私は夢中で叫んでいた。「神様お願いです。メイを楽にしてやってください。もう頑張らなくていいです。楽にしてやって!」。でも、発作は何回か繰り返し、私は何度も叫び・・・。やがて間隔がだんだん間遠になり、ひきつったように一度強い発作を見せたあと、静かになった。

 

 

 

私は10歳の時三つ上の兄を白血病で亡くしたけれど、その時の記憶は兄が私に残した言葉のほかは、無音のシーンのように静かな病室の映像しかない。69歳で父が亡くなった時は弘前の婚家にいて、電話で名古屋の癌センターに急行したが死に目に会えなかった。一昨年の母の時は家から徒歩5分の施設だったにもかかわらず、夜間のバイタルチェックの時に職員が母が息をしていないのに気付いて連絡をくれたので、やはり臨終の瞬間を見ていない。

 

そんな訳で、身近な大切な存在の死を看取るのは、大人になってからは今回が初めてのことだった。そして学んだ。命の火が消えるということの重みを。こんなに高齢なのだから、おそらくすんなり楽にいけるだろうとかなり楽観していた。けれども彼女は最後の最後まで生きようと頑張った。小さな体のあらゆる力を総動員して、信じられないほどの命の力を見せた。「生きもの」が死ぬということは、簡単なことではないのだ。

 

 

メイ(ハンドルネーム:オーガスト

1994年8月23日生まれ 21歳4か月

 

 

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まだやんちゃな仔猫の時だけれど、花のそばで気取る彼女。

古畑任三郎』でさんまさんが犯人の回の時、「猫を飼っている家では花を飾らない」というのが犯行を証明する重要な要素になっていたが、この子は花瓶を倒す心配がまるでなかった。たいへんなやんちゃのくせに、花があると必ずそばにいって気取ってポーズをとるのだ。

 

昨日はドリームも先輩の異変を感じていたのか、いつもは私が立って台所に行く度食べ物をせがむのに、全然ねだらず、ずっとおとなしくベッドで寝ていた。ただ時々先輩を抱っこしてソファに座っている私の前に来てじっと見つめ、「アタシもちょっとだけ甘えたいんだけど」という風に訴えるので、片方で100歳を抱きもう片方でドリームをなでてやったりした。

今日のドリームは心なしか寂しげに見える。