よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『四十九日のレシピ』伊吹有喜著

何年か前にNHKのドラマで見たがとても良かったので、市民館の図書室でこのタイトルを見つけて迷わず借りて来た。

 

主人公は突然妻に先立たれた初老の熱田(ドラマでは伊東四朗)か。彼はかつて最初の妻にも2歳の娘を残して死なれている。その娘も嫁いでいる今回は、一人残されてしまいほとんど抜け殻状態でいる。

 

そこにガングロ(もはや死語、本書では「極限まで日焼けした」と表現しこの語は使っていない)で黄色い髪の井本と名乗る若い女性が現れる。亡くなった妻を先生と呼び、四十九日の大宴会までの手伝いを頼まれていたからと、臭いを発している熱田を風呂に入れ、汚れ放題の家の片づけを始める。

 

そんな奇妙な生活が始まった矢先、葬儀を終えて婚家に戻っていったばかりの娘の百合子(ドラマでは和久井映見さん)が、すっかり憔悴した様子で帰って来る。大学時代の最高の友人だった相手と結婚し、子供はないものの仲良くやっていると思っていたのに、夫が浮気をし、しかも相手に子どもができたので別れるつもりだという。

 

美人で病弱だった先妻似の娘が傷ついて帰って来て、父は心を痛める。けれど自分の体さえ持て余すように暮らしていた彼は、娘にどう接したらよいか分からない。

 

そんな魂の抜けたような二人に、井本と、井本の要請で力仕事の助っ人にと現れる日本語の良く分からないブラジルの青年とが、不思議な影響を徐々に及ぼしていく・・・。

 

時間にすれば一か月前後の短い期間を描いているのだけれど、その中で熱田の後妻であり百合子の継母であった乙美(おとみ)の半生や、百合子の十数年の結婚生活の様子などが浮き彫りになっていく。

 

とりわけ乙美という女性のまごころ溢れる生き方が、一番近くにいたはずの夫や百合子ではなく、ボランティアで関わっていた問題を抱えた若者たちや、乙美の昔の職場の仲間などによって明らかになっていくさまが心を打つ。

 

乙美さんはドラマでは風吹ジュンさんが演じた。ほんわかとした温かい雰囲気はピッタリだけれど、原作では乙美は十人並みかそれよりちょっと劣る顔立ちの設定だ。しかも太め。熱田は乙美が倒れるその日も、邪険な口のきき方をし、それが彼女への最後の言葉になってしまったことを深く悔いている。

 

どうしても映像になる時にはある程度美しい女優さんが演じるのはやむを得ないのだろうが、乙美さんは原作のようにごく平凡な女性であった方が物語が生きてくるように思う。誰もが気にも留めず見過ごしてしまうような人の中に、実はたくさんの美しい物語が織られていっている・・・。だからこそ、この世はその気になって見さえすれば美しさに満ちていて、辛いことが多いようでも生きるってまんざらでもない。

 

読むのが辛いような部分も少しあるけれど、でも根っからの悪人は一人も出てこない。またいわゆる人生の成功者も出てこない。普通もしくはそれ以下(たぶん、井本やここに登場する若者たちはほとんどが人生の本道からはずれた子たちだ)とされるであろう人々の、なんと魅力的で人間的で優しいこと。それぞれの人物に対する著者のまなざしがとても温かい。

 

世の中から見れば些細なことだけれど、熱田家のなかではさまざまなすったもんだがあって、やがてフィナーレの四十九日を迎える。乙美が望んだような大宴会はできるのか。また傷心の父と娘は・・・。

 

 

ドラマのあとさらに永作博美さん主演で映画にもなったようだが、こちらは未見。

 

 

 

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孫がまだ小さかったころのある夏の日。なんでもない一日がかけがえのないもの。