よんばば つれづれ

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自然は怒っている?

人間よ、驕るなかれとでも言いたいのだろうか。次々と起こる思いもかけない自然災害。それにしてもなぜ週末でなければいけなかったのか。なぜちょうどお昼頃でなければいけなかったのか。曜日が違えば、時刻が違えば、犠牲の大きさはまるで違っていただろうに・・・。

ここにもまた明暗を分けるほんのちょっとの差が存在する。亡くなられた方や不明の方の関係者の方々は、運命の理不尽さにどんなに無念な思いをしていらっしゃることだろう。またすぐそばで怪我を負い苦しんでいる人に、なすすべもなく救助を待つしかなかった方たちも、さぞ辛かったことと思う。

それにしても今やいつどこでどんな事故や災害が起こっても、常に報道カメラマンがあらゆる場所に常駐しているようなものである。以前なら想像するしかなかった災害が、瞬時につまびらかになる。報道メディアにも便利だろうけれど、それらの現場に遭遇した人の撮影した映像が、専門家の方々の研究にも貴重な材料になるのではないかと思う。くれぐれもまずは身の安全の確保を第一にしていただきたいと思うけれど。

報道には、気象庁や専門家は注意の予報を出せなかったのかと責める口調が感じられる。広島の土砂災害の時にも行政が責められていた。結果論で言うことはたやすいが、実際にその任に当たる人にとっては難しい判断だろう。10回警告して9回空振りに終わっても、世間は「何事もなくて良かったね〜」と笑っていられるだろうか。いや確率はもっと低いのかもしれない。

もちろん、研究が進んで十中八九も予知が的中するようになればそれに越したことはないだろうが、自然相手にそれは難しい注文だ。しかも火山活動だの地震だのは、人の営みと違って何百年という時間の流れを相手にしなければいけない。そうした研究に十分な予算をつぎ込む覚悟もあるのだろうか。

科学が発達するとついつい過信してしまい、何でもかでも科学が何とかしてくれる、いやするべきだ、などと依頼心が強くなってしまうけれど、やはり生物としての危機察知能力や回避能力を埋もれさせてしまうことは危険だ。パニック映画やサバイバル映画を見ると、「ああ、私はとても生き延びるほうにはなれないな」といつも思ってしまう。まあ、今となっては年齢的にもそれで何ら問題ないのだけれど、まだ若い人たちは、やはり自分の命は最終的には自分で守るしかないのだから、災害が起きたときには、せめて関係者を責める視点ではなく、どう行動すれば自分の、あるいは大切な人の命を守ることができるのか、といった視点で報道を見たらどうかと思う。



頂上でお昼に・・・と楽しみに登っていたのであろうに、突如地獄と化した信仰のお山で、犠牲になられた方々のご冥福を祈り、関係者の方々にお悔やみ申し上げます。