よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

強風注意のお彼岸と・・・

お墓参りに出かけたけれど、歩くのが大変なほどの強風だった。しかも冬のように冷たい風。さすがにお彼岸ともなれば真冬のような格好もしたくないし、この季節に寒いのは冬以上につらい。

霊園に隣接する公園ではぼんぼりが立ち並び屋台の骨組みもすっかりできて、桜まつりの準備がほとんどできていた。肝心な桜のつぼみはまだかたそうだったけれど。市のサイトを見ると桜まつりは3月24日からとなっていて、準備が進んでいたのもうなずける。開幕すれば花など咲いていようがいまいが酒飲みには関係なく、どっと人が繰り出すだろうから。

弘前に住んでいた時は、春の挨拶は「観桜会さ行ぎしたかぁ」だった。標準語に翻訳すると「桜まつりに行きましたか」。冬の長い雪国では桜には特別深い喜びがあり、とにかく花見をしなければ何も始まらないといった感があった。全国でも有数の桜の名所弘前公園にはシーズン中ものすごい数のビニールシートの宴席ができるが、どのグループも酒飲みたちは頭上の見事な桜を見上げることもなく、ひたすら飲んで騒いで春の喜びに浮かれていた。



夕方ピアノの練習をしていると長男から電話があった。今年は孫が小学校卒業で、おとといが卒業式だった。とても子どもらしい(このあたりの言葉で言うと「おぼこい」幼い、こどもっぽい・・・)子で、この一二年は遊びに来るたび「今度は大人っぽくなってて相手になってもらえないだろうか」と心配したけれど、この正月も無邪気に遊んでくれた。

その孫が嫁に「ハグハグは卒業式で終わりね」と宣言したそうで、もう母親もハグがさせてもらえなくなりとても寂しがっているという。私は内心ニンマリ。

息子はかつて「お母さんがずっと昔から孫を楽しみにしてた(私は彼が高校生の頃から口にしていた)のは知ってるけど、僕たちは子どもは持たないから」と言った。そのとき、私は孫が見られないことにもがっかりしたが、それ以上に息子の父親ぶりが見られないことにがっかりし、そしていちばん自分でも驚いたのは「ずるいよ・・・」と思ったことだった。

親というのは楽しいけれどせつない寂しいものだ。子育て期間は大変ながらもとても充実していて楽しいが、子どもはいずれ大きくなり親より大切な人ができ、親の元から羽ばたいていく。子どもは新しい世界が広がっていくのでそれほど思わないが、取り残される親はつらい。それでも「じゅんぐりなんだから」と耐えた。古来親たちは皆このせつなさに耐えてきた。子どもは知らないけれど、いずれ親になった時分かる・・・、そう思って耐えた。なのに、あんた、そのせつなさを味わわないって言うの?そんなのずるいよ!って。

息子夫婦もこれからだんだんそうした思いを重ねていくことになるだろう。子の成長の喜びの裏側にくっついているせつなさをどうぞ噛みしめてください。でもあなたたちは慰め合うよき伴侶もいるから。結婚15周年おめでとう。でもまだまだこれからね、人生の長い山、坂は。力を合わせて乗り越えていってください。