よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

おしゃれな母も・・・

私の母はとてもおしゃれな人でした。「薄化粧は女のたしなみ」と言い、家の中の誰よりも先に起きてきちんと着替え髪を整え化粧をしてから家事に取り掛かるので、母がだらしない格好でいるのを見た記憶がありません。

戦争の混乱もあって父がスタートの遅い公務員で、年齢の割には収入が少なかったであろう子育て中こそ生活にゆとりはなかったと思いますが、私が中学生の時に兄が始めた事業がとんとん拍子に大きくなり、同居していた母もその頃から自由になるお小遣いが増えたようです。

やがて父が定年を迎えると、旅行が好きな父が乗り物の苦手な母を説得して旅行に連れ出すようになり、お洒落して出掛ける場を得た母はこのあたりからじゃんじゃん服や装飾品を買うようになったようです(私は当時1年に1回の里帰りがせいぜいであまり詳しくは分からないが、母の元にあった服やアクセサリーの量から推察して)。

兄と折り合いが悪くなって私の元に来ることになったとき、兄の家に行って母の荷物を整理したのですが、その頃すでに兄の事業が傾いて以前の大きなビルの家からふつうの一戸建ての家に引っ越していたのですが、それでもあまりの衣類の多さに辟易してしまいました。全部はとても無理なので、迷惑だろうけれどかなりの量を兄の家に残して我が家に引っ越しました。

そして私のところでほとんど一日中ひとりで留守番(私が勤めていたため)という状況にだんだん不安が出てきました。セコムの安否確認サービスも使ってみましたが、端末自体を忘れて出掛けられるとお手上げです。それで夫を亡くして一人暮らしだった姉に同居を頼んだのですが、その時兄と姉の出した結論が「施設に託す」というものでした。

そんな訳で今度は我が家からグループホームへ引っ越すことになり、またしてもある程度厳選して母の荷造りをしました。そしてグループホームからさらに昨年我が家の近くの特養に移れることになって、さらにさらに厳選して母の身の回り品を持ち込みました。

とにかく衣類は大変な量がありましたので、なるべくそれを無駄にしないようにしたのですが、おしゃれな母の衣類は着脱に手のかかるものばかりです。ウエスト総ゴムのズボンとか、スポッとかぶるだけのTシャツやトレーナーの類はほとんどありません。パジャマもみな前のボタンを掛けるものです。ある程度は新しく準備して入所しましたが、それでもやはり面倒な衣服が多く、だんだん体の機能が落ちてくるので、母自身着たり脱いだりがおっくうで、楽に着られるものでないと嫌がるようになったというのです。

昨日訪問した折りに居室担当の職員の方から、少し楽に着脱できる服を追加してほしいと言われたので、昨日今日と探して届けました。服を探していたため訪問がちょうど昼頃になり、食事を介助して帰ってきましたが、今日も相変わらず小鳥ほどしか食べず、「おいしくない!」とすぐに口を開けようとしなくなってしまいました。私が届けたゼリーだけやっと半分も食べたでしょうか。じゃあ帰るからと言っても表情に何の変化も見えません。もうついに私のことも分からなくなっているのでしょうか。あるいは分かっても心や表情を動かすことさえおっくうなのでしょうか。

そばで世話ができるのはいいけれど、切ない思いもたくさんしなければなりません。遠くにいる人は「何もできない」つらさは味わうのでしょうが、こうして徐々に徐々におとろえていく母を目の当たりにすることはありません。家族が一つ屋根の下かせいぜい近隣で暮らしていた昔は、病院に隔離されてしまうことも少なかったでしょうし、こうした死に向かっていく人を日常的に見ていたのでしょう。日常的に死と向き合っているからこそ、生きていることのありがたさやすばらしさも強く感じていたのかもしれません。

親というのは、手本になったり背中で教えたり反面教師になったり、老いさらばえていく姿を見せることでもまた、子に学ばせてくれるのですね。