よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

平凡のありがたさ

昨日は娘時代職場で仲良くなった友人たちと女3人のおしゃべり会でした。朝10時に地元の友人が迎えに来てくれて一路蒲郡へ。蒲郡でもう一人の友人を乗せて、彼女が予約をしてくれた和食の店「中神」で昼の懐石をいただきました。(こんなかんじです)今は6月なので「水無月いろどり御膳」です。個室で落ち着いて食べられました。

そのあと蒲郡の友人の自宅に場所を変えてお茶の時間。友人の息子さん(シェフ志望)が焼いたと言うシフォンケーキとお庭のミントの葉が浮かぶアイスティーをいただきました。目の前の庭には青いぶどうの実が下がったぶどう棚があって、その下の木陰にはギンガムチェックのテーブルかけを掛けたテーブルとベンチが眺められ、とてもゆったりくつろぐダイニングでした。一級建築士だった亡きご主人の建てたおうちは大分年数を経てはいますが、カントリー好きの友人の趣味が生かされたかわいいインテリアでとても温かい居心地のいい空間になっていました。

3人で会うのは3年ぶりくらいでしょうか。前回は蒲郡の友人が入院中で、浜松の大学病院の喫茶でおしゃべりしたのでした。友人はその後も再度入院したりして、今も足の状態は完全でなく、おそらくもうずっと普通の状態には戻らないようです。もう一人の友人は末期がんのお姉さんの病状がよくないとのことで、この日途中で電話が入り、お昼だけ食べると急遽帰ることになってしまいました。

友人の家でお茶をいただきながら、平凡な一日が暮らせることがなんとありがたく幸せなこと
かということを、ふたりでしみじみ話しました。自分はみんなとは違うなどといい気になっていた若い時は平凡とか普通であることとかをつまらないことのように思っていました。けれども自分の身の上に思ってもみなかった離婚という選択肢が発生し、その頃になるとお子さんを亡くす方や自身が病に倒れる方、交通事故、航空機の事故で亡くなる同級生など、身の回りの人たちの上にもさまざまな事が起こってきて、平凡な人生というものはざくざくありそうで実はめったにないものなのだということが分かってきました。年を重ねるごとにその思いは深まります。だから特別なことはなくてもいいから、一日一日を大切に丁寧に暮らしたいものねと話しました。


楽しい時は瞬く間に過ぎて、一人の帰り道は友人に三河三谷の駅まで送ってもらい電車で帰途に着きました。夜は自治会の会合の予定が入っていたので、大急ぎで夕食を済ませ校区市民館に行きました。9月に開催される校区体育祭の準備が今日からスタートです。