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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ひさしぶりの青葉の家

介護

昨日は来るはずだった人が来られなくなったというので母のグループホームに出掛けた。このところ週末ごとに人が来て訪問できずにいたので、施設の人に久しぶりですねと言われてしまった。マッサージを隔週に減らしたし、いくらか気温も低くなってきているので母の足の状態が心配だったが、変わりなく健康的な状態を保っていたのでほっとした。いつもどおり30分ほど足のマッサージ実施。もう指の間を刺激しても痛いと言うこともない。脳に繋がっているとマッサージ師の方に教わったあたりを重点的に刺激。母は気持ち良さそうにウトウト。

マッサージのあと持参したマンゴープリンを一緒に食べる。口当たりのいいプリンやヨーグルトなどの好きな母はとても喜んで食べた。5分後にはおいしいプリンを食べたことも忘れてしまうのだろうけれど。でも、娘の私を分かっているからいいのだ。あまり間をおくと私を忘れてしまうのではないかと、このところ心配だった。おととしつまらないことで私は施設の対応にちょっと不快になり、何ヶ月も行かないことがあった。そして兄から母が入院した知らせを受ける。病院のベッドの上の母は以前私が会った時に比べると、すっかり状態が悪くなっていた。

別に私が訪問を以前どおりに続けていても、同じことだったかもしれない。私の存在が母にとって兄や姉に比べて特別大きい訳ではないことは分かっている。それでもやはり私はとても後悔した。母の強靭な心と身体は人生初の入院にも耐え、それを引き金に寝たきり・・・などということもなく2ヶ月ほどで退院できたが、幾分低下した生活の質は変わらず、去年はその後もう一度入院し、足のむくみの悪化、足指に褥瘡の発生という経過をたどることになった。

そもそも我が家で一日の大半がひとりで留守番という状況が不安になった時、私が提案したように姉のところで暮らすようになっていたら、おそらく母の状態は全然違っていたと思う。まだまだ普通に家で暮らせていただろうし、頭ももっとしっかりしていただろう。姉の家に出入りする多くの人に「お若いですね」とか「お達者なこと」とか言われて、母は大満足の日々を送っていただろう。

でもそうなっていたら、私はうちで母をみることを投げ出し姉に押し付けてしまったと、ずっと後ろめたい気持ちを引きずることになったに違いない。姉が拒否してくれたからこそ、母はグループホームで暮らすことになり、そうして私がマッサージの方を頼んだり自らも素人マッサージに青葉の家に通う今がある。心から母の安穏な生活を願ってマッサージし、素直に母を案じることができるようになった自分に嬉しさを覚える。

昨日の朝テレビで96歳のおばあちゃん*1がマスターズ陸上で自らの持つアジア記録を更新したと伝えていた。母もその昔はスポーツ少女、この話をすると目を輝かせていた。いつかまた気持ちの良い戸外を歩いたり走ったりできるといいね、お母さん。


追記 *1は静岡の岩城かつ子さんという方です

*1:静岡の岩城かつ子さん