よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

公孫樹-イチョウ-

銀杏は知っていましたが、「公孫樹」でイチョウとは知りませんでした。いい年をして、恥ずかしながら知らないことばかりです。今読んでいる本に「銀杏の木の巨きいのは、やはり公孫樹と書いた方が感じが出るようだ」(永井龍男「いてふの町」)と出てきました。そう言われればまさしく公孫樹はそびえたつ巨木という感じがします。繊細な文章を書く人らしいセンスです。ちなみに「公孫樹」の「公」は祖父の意味で、「祖父が種をまいても実がなるのは孫の代なのでこの名が付いたとか・・・。へ〜〜。ネット上には本当にたくさんの知識が溢れていて勉強になります。

現代は日本語の語彙が社会現象としてどんどん減っていっているので、豊かな日本語に触れようと思ったら、古い作品を読むのが一番です。永井龍男はそれほど昔の作家ではありませんが、戦前の作品などを読むと、言葉と同時に漢字も当用漢字だ常用漢字だと枠に囚われずにさまざまな漢字が出てきて楽しいですね。

子どもの頃、父の書棚の本(戦争があったりしたせいか、あまりたくさんはありませんでしたが)を借りると旧仮名遣いで、しばらく読んでいると頭が旧仮名モードになってしまい、今度はしばし新仮名遣いに戸惑ったりしました。近頃の本は文章は原作のままの古い作品でも、仮名遣いは新仮名遣いに直してあるので、便利ではあるのですが、ちょっと残念な気もします。旧仮名遣いってなんだか雰囲気がある感じがして好きでした。新作でも丸谷才一さんのようにあえて旧仮名遣いで出される方もありますね。

さらにさらに現代では「ゆとり語」とかいって、「言う」を「ゆう」、「まじ」(この言葉自体がもう変ですが)を「まぢ」と綴ったりするのだそうです。(いっそ旧仮名遣いに戻ります?)まあ確かに仮名遣いって難しいと思います。狼は「おおかみ」王様は「おうさま」ワタシワと発音するのに書くときは「わたしは」。地は「ち」なのに地震は「ぢしん」ではなく「じしん」。たしか前出の丸谷才一さんは著書の中で、旧仮名は理論的で分かり易かったのに、新仮名遣いに変えたため混乱が生じたというようなことをおっしゃっていました。だとしても、もう旧仮名遣いに戻ることはできないでしょう。

分かりにくいから、難しいからといって、やたらに簡単にしてしまうのは考えものです。中国の簡体字など使いやすくするために考案されたのでしょうが、まるで美しさをなくしてしまって無残な気がします。また漢字はその中の部首や部分が意味を持っていて見ただけで意味や音が想像できたりするのに、簡体字のようにしてしまったらそうした漢字のよさが消えてかえって分かりにくくなってしまうところもありそうです。大変でも、きちんと覚え使いこなすためにどうするかに心をくだき、日本語の美しさをなるべく守っていけたらいいなと思います。