よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

今日はシベリア抑留の始まった日

なのだそうです。浅学にして今日まで知りませんでした。日本がポツダム宣言を受諾して戦争が終わったにもかかわらず、協定に反する形で抑留が始まったということは知っていましたが、8月23日という日にちは先程NHKのニュースで初めて知った次第です。もっと戦争のことを知るように努めなければ。

青森の舅はシベリア抑留の体験者だったようです。そのことは姑の口から聞きました。本人はそのことについて一切語りませんでした。気位が高く厳しい人でしたが歴史が好きで読書家で大変博学で話好きな面もある舅でしたが、シベリアについてだけは決して話そうとしませんでした。それだけとてつもなく辛い体験だったのだろうと思います。姑も舅の復員後に結婚しているので帰還したときの様子も直接は知らないのですが、姑の姑の話では「わが子と分からないほど変わり果てていた」らしいです。鎌倉時代から続く地元の旧家のお坊ちゃんで、おそらく苦労知らずであったろう舅にとって、思い出したくもない体験だったのでしょう。

でも、やっぱり聞いておきたかったなと、今思います。100年も200年も昔のことではない、ほんの60何年か前のことです。そして60数年前のことでありながら、自分の体験としてはっきり記憶のある世代は随分少なくなってきています。自分の周りに戦争を知っている人がいたら、ぜひ話してもらうといいですね。本で読むのと、直接自分の身近な人から聞くのではまるで重みが違うでしょう。

私の父は少々背が足りなくて徴兵検査に合格しなかったため、兵隊の経験がありませんでした。それでも、私が子どものころ、母は工廠で働く父に会いに行った帰り、3歳の姉と乳飲み子だった兄の二人の幼子をつれて空襲に合い、とても恐ろしい思いをしたという話を聞いた覚えがあります。ただ残念なことに私はまだほんとに小さかったのできちんと話を記憶していないのです。私がもう少ししっかり当時の話を把握できそうな年齢になった頃には、我が家はもはや「狭いながらも楽しい我が家」状態ではなくなり、11歳年上の姉は嫁ぎ8歳上の兄は就職、3歳違いの次兄は病気で亡くなり、両親と私のたった3人の家族になってしまい、夕食後の一家団欒はテレビ視聴に取って代わられ、あまりそうした話を聞く機会もないままになってしまいました。父はとうに亡くなり母の記憶には大分霧がかかってしまい、姉や兄ともなかなか話す機会がなくなってしまった今になって、あのころの事をもっと聞いておくのだった・・・と悔やまれます。せめていろいろな本を読んで先人のご苦労を知りたいと思います。