『プラチナデータ』のあとも、東野圭吾さん(『流星の絆』)と宮部みゆきさん(『過ぎ去りし王国の城』)の、ティーンエイジャー向けのライトノベルだったのかな?と思うような作品を続けて読んでしまったこともあり、今回の『ブラフマンの埋葬』では久しぶりに豊かな読後感を味わった。
題名からして動物の死と向き合わなくちゃいけないんだなと分かるので、ちょっとだけ躊躇したのだけれど、小川さんの作品ならただ悲しいだけじゃないだろうと信じて手にした。
森で怪我をして死にそうになっていた小動物の赤ちゃんを、「創作者の家」の管理人の「僕」が助ける。皿で牛乳を与えても、満足に飲むこともできない赤ちゃんだ。「貝殻の形の髪留めをして、マニキュアも指輪もしていない、汚れたものになど触れたこともないような手をした娘」のいる雑貨屋で、「僕」はブラフマンのための哺乳瓶を買う。
ブラフマンと名付けられたその小動物はみるみる元気に成長し、初めは「僕」の部屋の中だけで、それから「創作者の家」の庭で、それにも慣れると森で・・・と、「僕」との細やかな交流の世界を広げていく。
初めて家に連れ帰り、汚れたブラフマンの体を洗うために盥に入れた時、彼が水が大好きなことが分かり、しかも足の指の間には水かきがあることから、「僕」が予想していたとおり、湧き水の泉に連れて行くとブラフマンはイキイキと泳ぎ回る。
全編を通してブラフマンが実に愛らしく細やかに描写されているのだが、最後まで彼が何であるのかは分からない。そして舞台が日本なのか外国なのか、時代が現代なのかどうか(自動車やファックスは出てくる)も薄い霧がかかったように判然としない。けれども、そうしたことがむしろこの物語をより魅力的にしている。
「創作者の家」にはいろいろな楽器の奏者や画家や詩人が入れ代わり立ち代わり滞在するのだが、石棺を作り墓石を刻む「碑文彫刻家」だけはずっと滞在している。そして意識的に客と距離を置くようにしている「僕」も、この彫刻家とは私的な交流を持つ。
彫刻家は毎日石を刻む。またブラフマンはあらゆるところを齧るのが大好きだ。音は結構しているはずなのだけれど、この物語には常に静謐な空気が満ちている。
静かで穏やかな日々、「僕」の心にさざ波を立てる貝殻の形の髪留めの娘。娘はいつも列車でやってくる男を駅で待ち、そうして二人で「古代墓地」へと寄り添いながら歩いて行く。また時には自動車の運転を教えてほしいと、「僕」のところへやってくる。
「僕」の心がザワザワするように、読み手の心もなんとなくざわつく。そして場面は急転し、恐れていた事態に遭遇するのだけれど・・・。
最後まで静かで透明感を崩さない描写。悲しみを表す直接的な表現はまったくない。けれども「僕」とともに読み手もブラフマンをなくした深い深い喪失感を感じる。
最後の、5項にわたるブラフマンの埋葬に関する記述。感情を廃した機械的な記録のように書きながら、こんなにも深い愛を感じさせる文章を私は初めて読んだ気がする。
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次男から届いた返信