心をこめる贈り物
今夜はクリスマス・イブ。世界中でどれほどのプレゼントが行きかうのだろう。どんなプレゼントであれ、もらえる子はまだいい。プレゼントどころか、食べるものさえ十分でない子、安心して眠ることさえできない子もいることだろう。
子供たちが小さかったころ、サンタクロースの存在を信じさせるために、親からとサンタさんからと別々にプレゼントを用意した。そうして、クリスマスは、世界中にはプレゼントの届かない子供たちもいることを思い出すための日なんだよと、勝手な自分の解釈を子供たちに言いきかせていた。
いまだにそうした困難な状況にいる子たちも少なくないけれど、モノがあふれてしまっている国々もやはり多く、近頃はモノより「体験」を贈るのが人気だそうで、さまざまな企画が売り出されているという。
私は自分自身が引き算の生活を心がけているし、子や孫に本当に喜んでもらえるものを選ぶのもとても難しいので、4月に誕生日が集中している長男一家には、大分前から全員分をまとめて、モノでも体験でも選べるカタログを贈ることにしてきた。
クリスマスにはまだモノを贈っているが、時にはレストランの食事券にしたり、仕事を持っている嫁がちょっとだけでも楽ができる(育て方に失敗し、息子は料理はほとんどしない)よう、冷凍やレトルトの料理など、いわゆる「消えもの」を選ぶことにしている。
初孫の初めての誕生日には何を贈ろうと悩んだが、将来自分で欲しいものやしたいことがはっきりしてから役立つようにと、ずっとウィーン金貨を贈ってきた。来春どこであれ大学に収まるのであろうから、そうしたら祝いに2枚贈るとちょうど20枚になるので、それで終了にしようかと思っている。女の子だったら、とびっきりの真珠を一粒ずつなんていうことをしてみたかった。
それにしても、モノを贈るのも非常に難しい時代になったものだ。私が子供の頃、父のお客様から、もみ殻を敷き詰めた和菓子の空き箱に、20個くらいの卵が鎮座ましましているのをいただいたときの嬉しさなど、いまだに鮮やかに脳裏によみがえる。
「2019年のクリスマスシーズン、カナダ人は54万トンの包装紙を廃棄し、アメリカ人は地球を一周してもあまりが出るほどの長さである、6万1000kmぶんのリボンを使う。2018年、オーストラリア人は相手がいらないと思うプレゼントに、1000万オーストラリアドル(約7億5000万円)を費やした。ひとつひとつのプレゼントに使用する包装紙やリボンはごくわずかかもしれない。しかしそれが世界規模になると、ものすごい量のゴミとなってしまう」(オンラインメディア「カンバセーション」の記事による)ということを知らされてしまい、悩まなくてはいけない現代の私たちは、幸せなのか不幸せなのか・・・。心こめるゆえ、同時に心悩ます贈り物、でもある。
昨日は今年最後の見守り当番で、終業式帰りの子供たちを見守った。「さようなら」と声をかけても、半分くらいの子からは返ってこない。恥ずかしがりの子や家であいさつをする習慣のない子はなかなか言えないものだから、とにかく大人が声をかけ続け、あいさつって気持ちの良いものだなと思ってもらことが大切だと思い声をかけ続ける。
でも、もしかしたら「うっとうしいなあ」と思うだけで、あいさつが気持ちいいなんて感じない子もいるかもしれない。そんな不安も頭をよぎるが、昨日は中学校も終業式だったらしく、同じ時間帯にたくさんの中学生が通り、そのほとんどの子が「こんにちは」とあいさつしてくれた。なかにはこちらが声をかける前に言ってくれる子も結構いた。
この子たちは小学生の時に、この場所を通った子たちだ。今年の小学生だけが特にあいさつしないわけではないから、この子たちも小学生の時にはあまりあいさつしなかったかも知れない。それでも中学生になればこんなにも気持ちよく挨拶できるようになっていると思ったら、なんだかとても嬉しく、中学生の子たちに、温かい大切な贈り物をもらった気分だった。
イブに届いたプレゼント
中には暖かそうな手袋と、小さな包みはアンティークビーズのブレスレット
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