よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

「ゆづ君」よ、あなたもか!

フィギュアスケート全日本選手権で2位に終わった羽生選手が、インタビューで言った言葉がヤフーニュースのトピックに載っていて目を引かれた。

「僕も『こんなもんじゃねーよ』って頑張りたい」と奮起を誓った。

というものだ。スポーツ全般興味を失っているし、テレビ画面で見るたび、なんてきれいな肌なんだろうと驚きはするが、それほど羽生選手のファンというのでもない。それでも、なんだかこの言葉に結構がっかりする自分がいた。「ゆづ君」には、「こんなもんじゃないよ」と言って欲しかった・・・。

 

羽生選手は男性なのだからまだいいけれど、近頃の女性たちの言葉遣いと言ったらどうだろう。女性のお笑い芸人さんたちの影響も大きい気がするが、年々男性化、それもわきまえた人なら男でもあまり使わないような荒っぽい言葉を、平気で女性が使うようになった。

 

男女平等は進んでほしいし、日本もフィンランドのような若い女性首相が生まれる国になって欲しい(いつのことだろう?)とは思うけれど、それと女性が男性化することとは違う。女性は女性の良さを持ったままで男女に機会が均等に与えられてこそ、誰もが生きやすい社会になるのではないだろうか。

 

人間は言葉で思考するのだから、言葉は非常に大切だと思っている。言葉の荒っぽい人を私は信用できない。職業によって「キャラ」として戦略的に使う必要があるとしても、素の自分まで侵されてしまってはいけないし、公と私の使い分けもわきまえたい。

 

公と私とか建前と本音とかは、本来あってしかるべきだと思うのだが、「ブレる」とか表裏があるとかいう批判を恐れるからか、近頃はどんな場面でも仲間内での言葉遣い(「タメグチ」というのだろうか)で話すことが当たり前になってしまったようで残念だ。

 

少し前に三ツ星レストランを目指すシェフのドラマのことを取り上げたが、ストーリー以前にあの主人公も、各国の高官の集まるパーティーの食事を担当するくらいの料理人であれば、あの言葉遣い(いわゆるヤンキー言葉だと思う)はないと思う。たとえ職場の言葉であるフランス語はきちんとしていたとしても、私なら、あの年齢あの立場で、あのような母国語を話す人を信頼するのは難しい。

 

日本の子供たちの読解力が落ちたことが話題になっている。もちろん教育にも問題があるだろう。半端な英語教育に時間を割いている場合ではないかもしれない。けれども、もしかしたら、机上の学問以上に世の中全体の言葉をおろそかにする風潮が影響していはしないだろうか。日々適当な気持ちで言葉を使っていて、テストの時になって急に日本語をきちんと読み取ろうとしても無理な話だと思う。

 

スマホが、ラインが・・・と若者の文化を責めるのは簡単だけれど、まずは世の中の大人たちがしっかり言葉と向き合うべきだ。何事につけ若いことが至上の価値を持つ時代で、年齢相応などという言葉は忌み嫌われるようだが、平安の昔から「近頃の若い者は・・・」と嘆くのが大人の役割だったのだ。若者と競っても若さで勝てるわけはなし、大人は大人らしく、若者の手本となるべく、場をわきまえた言葉遣いや立ち居振る舞いができるようになりたい・・・と、自戒を込め思う。 

 

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ヒトはなにゆえ言葉を得たか・・・。つまらぬ言葉なら話さぬが花! 

なあんて、クールなオーガストに言われそうだ。