よんばば つれづれ

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このところの日々

一昨日は女性3人で、地元の東愛知新聞社に、チャリティーアート展の記事掲載のお礼と結果の報告に行った。

 

小さい新聞社だけれど、私たちが豊橋駅前でのスタンディングという活動を始めてから、何かイベントをするたび一番回数多く記事を掲載してくれている。すっかり顔なじみになった記者さんは、残念なことに2年ほど前に病気で亡くなってしまったが、その後もなんとか変わらずに記事にしていただいている。そんなわけで、メディアへのお礼と報告は、第一番に伺った。

 

昨日はファミリーサポートの依頼が入っていて、あいトピア(社会福祉協議会)まで出かけ、託児室での託児を12時半から午後4時半まで。渥美線と市内電車を乗り継いで行く私は、11時過ぎには家を出て、終了して帰ると午後6時前という、ほぼ1日仕事となった。

 

今回も2歳以上の子供たちの担当で、もしかすると足の手術をした私のために、おんぶや抱っこの可能性の高い未満時のほうは避けてくれているのかもしれないと感じた。土曜日とあって、9歳のお兄ちゃんが5歳と2歳の弟と一緒に参加し、大きいだけに遊び方がダイナミックで、小さい子たちもそれに影響されて私たちも振り回され、クタクタになった。

 

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託児室にはこれのもっと規模の大きなボールのプールがあって、子供たちはこの中に飛び込んだり、ボールを面白がって外にいっぱい投げたりし、小さい子にぶつからないように注意し、ボールを回収し・・・で大変だった。

 

体力的にもう無理なのだろうかと思ったりもするが、今は手術後1年目で、これからもっと良くなるかもしれないし、それほどしょっちゅう依頼が入るわけでもないのだから、もう少し頑張ってみようと思う。

 

そして今日は8時から団地内の一斉清掃で、そのあとすぐ民生委員児童委員の委嘱辞令伝達式のため豊橋市公会堂まで出かけ、12時過ぎに帰ってきた。おそらく民生委員の制度が始まったのが12月だったのだろうが、100年もの歴史の中で、なぜどこかのタイミングで4月スタートの制度に切り換えずにここまで来ているのか不思議でならない。お役人の世界は理解不能だ(私の父も国家公務員の端くれではあったが)。

 

 

午前中に”言い出しっぺ”から「桜を見る会」についての行動の呼びかけがラインに入っているのは分かっていたが、こんな訳で返信はできずにいた。先ほど電話が来て、なんとかもっと追及の声を広げる方策はないだろうかと話し合ったが、なかなか名案は浮かばない。

 

私もブログやフェイスブックツイッターで首相を皮肉った文面の桜の図案の葉書を紹介したが、「連動してやります」という声は聞かれない。ネットの海の中には怒りの声が結構あふれているように思うのだけど、1本の電話、1通のメールやファックス、1枚の葉書、というリアル世界での行動に結びつく人は多くないように思う。

 

大都市にいて、身近に頻繁にデモや集会があってそれに参加できる人はいいが、そうした手段もなく、ネットの中で怒ったり嘆いたりしているだけで何も行動しなければ、結果的に自分も思考停止の国民の一人になってしまうと思い、何かしなければ!と私は焦れてしまうのだけれど・・・。

 

私たち世代は、戦後の右肩上がりのいい時代に生きてきて苦労がなかったから、こうして老後に苦しむという運命なのよと私が言うと、「そうでない人もいるよ」と”言い出しっぺ”が言う。確かに、たっぷり年金をもらって余暇や旅行三昧で悩みなしの高齢者を私も趣味の教室で実際目にしたし、テレビで紹介されているのも見たことがある。

 

知らなければいいが、今は地球の裏側の貧困も紛争も見えてしまう。自分や自分の周囲数メートルが幸せなら安泰!という気分にはとてもなれない。だからと言って、自分にどれだけの力があるわけでもなく、仲間と一緒に頑張ってアドバルーンを上げても暖簾に腕押し糠に釘。

 

ああ、病気になっちゃうね・・・が電話のシメ。