よんばば つれづれ

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多数派の横暴を思い知る『コンビニ人間』村田沙耶香著

この世界は多数派の論理で回っているのだなという当たり前のことが、細胞で解ったような気分になる読書体験だった。

 

主人公の古倉恵子は、幼稚園児の頃、公園で青い綺麗な小鳥が死んでいるのに遭遇する。まわりの子供たちが泣きながらお墓を作ってあげようと言うなか、彼女は母親に向かって「これ、食べよう」と言い、周囲の大人たちを戦慄させる。

 

まずこのエピソードが衝撃的だった。恵子は愛情あふれる親の元で幸せに育ち、特別乱暴な子供でもなければ残虐な性向の子でもない。焼き鳥の好きな父親はきっと喜ぶだろうという、無邪気な気持ちで発した言葉だ。

 

このあと小学校でも同じような問題を引き起こし、高学年くらいになると周囲と自分の違いを理解し、問題なく生きていく最も合理的な方法を見つけ、必要事項以外口にしない子供になっていく。

 

そうして、友達はないものの特に苛められることもなく大学まで進み、ちょうど大学の近くにオープンしたコンビニエンスストアでアルバイトを始め、細かなマニュアルに規定されるコンビニ店員という役割は彼女にとって心地よく、「コンビニ店員として生まれた」と感じるようにさえなる。

 

この世界に初めて自分の安心できる居場所を見つけられた思いの恵子だったが、コンビニのアルバイト店員で5年、10年と過ごすうち、今度は女性がその年齢で結婚もせず正社員でもなく、「コンビニのアルバイト店員でいることがおかしい」と責められるようになる。

 

彼女は細やかなセンサーで周囲に溶け込む努力をし、迷惑もかけず問題も起こさず、コンビニ店員としては非の打ち所がないほどきちんと仕事もこなしているのに、世間一般と違うという理由で責められ、理解があった妹からも、結局「お姉ちゃんはなんで普通になれないの」と泣かれてしまう。

 

彼女は、自分の怠惰さからコンビニという職場を追われ路頭に迷った男を助けるが、「こちら側」の人間はそれをまた勝手にこちら側の論理で解釈し、自分たちの物差しに合わないと知ると、また糾弾を始める・・・。

 

 

この社会にはいろいろな人がいると頭では解っているつもりでも、人間は知らず知らず自分の常識で他者も計ってしまいがちだ。そしてその「いろいろな人」の「いろいろ」にも、自分の知識で自ずと制限がかかってしまう。本書の主人公のような人もいるのだということは、私にとってかなりの衝撃だった。

 

けれども衝撃的存在である「恵子」に、嫌悪感も湧かず感情移入さえしながら夢中で読み進んでしまったのは、主人公の描き方がうまいからだろうと思う。芥川賞作品をそれ程読んだわけではないが、結構難解だったり癖が強くてなじめなかったりすることも少なくなかった。そんな私の勝手な「芥川賞受賞作品のイメージ」にも、この作品は強い衝撃を与えてくれた。著者の他の作品もぜひ読んでみたいと思う。

 

 

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