よんばば つれづれ

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少年と特攻兵の交流『青空に飛ぶ』鴻上尚史著

父親の転勤で、小学校高学年の何年かをアメリカで過ごした少年友人(ともひと)が主人公だ。日本では帰国子女はいじめに遭いやすいと聞き身構えて日本での中学生生活を始めるが、友人は幸いにもそうならなかった。というのも、友人が中一の2学期に編入学したとき、クラスにはすでにいじめのターゲットになっている少年、松田がいたからだ。

 

やがてその少年は、自宅マンションのベランダから飛び降りて死ぬ。するといじめは次の標的に移る。新たな標的からまきあげたお金で買ったアイスを、友人だけが食べることを拒否すると、翌日から教室の空気はガラッと変わり、友人が新たないじめの対象となっていた。

 

絶対に証拠が残らない、先生や大人たちには見つからない、陰湿で凄惨ないじめが毎日毎日続き、友人も初めて「かつて松田少年が生きていた地獄」を知り、同じように「飛んでしまいたい」という思いにとらわれるまで追い詰められていく。

 

友人は、家族で訪ねた札幌の伯父の家で、偶然伯父の見ていたテレビ番組で「神風特攻隊」を知る。しかも伯母が、自分の勤める病院にもと特攻隊員の有名な人がいて、東京からマスコミの人が取材に来ていたという。佐々木友次さんという人なのだそうだ。

 

友人は自分が学校で「特攻隊ゲーム」というものをさせられていたこともあって、その佐々木友次さんという人に興味を待つ。なぜ命と引き換えに突撃させられた特攻隊員なのに、友次さんは生きて帰ることができたのか。インターネットで調べたり、本を買ったりして友人は友次さんについて調べていく。

 

休みが終わり東京に戻って学校に行かなければならなくなると思うと、友人は伯父の家のある札幌で高い建物を探した。そして、高層マンションの非常階段の踊り場の手すりに腹ばいになり、あとは左足の重心をわずかにずらせば「飛べる」というところまでいった友人だったが、これでもういつでも飛べるのだから、その前にもっと友次さんのことを知りたいと考える。なぜ友次さんは生きることができたのか・・・。

  

やがて友人は、自分でも不思議なほど友次さんに引き付けられた理由として、友次さんが日本人らしくないからだという考えに辿り着く。「日本人は、大きなものに従って、じっと黙っている人達だ」というのが友人のイメージする日本人だ。

独りでは絶対に多数とは戦わない。戦う時は、いつも集団だ。アメリカのクラスメートみたいに、いじめる奴に独りで戦いを挑む奴は誰もいない。空気を読んで、ムードに流されて、みんな周りの顔色をうかがう。そして、黙って、教室の空気に従う。

 それは、先生も同じだ。空気に対して、誰も独りで戦うことはない。

 雨の日に飛んだ松田が、本当はいじめられていたなんて、どの先生も薄々気付いていたはずだ。でも、誰も言い出さない。独りで学校と戦う人はいない。

  

どんなに理不尽だと思っても、みな命令されれば命を捨てて突撃していったなかで、友次さんは独りで戦うことができた。その強さがどこから来たのを友人は知りたいと思い、伯母さんの勤める病院に行って友次さんの病室を探し、直接話を聞く。

 

東京の学校で友人が壮絶ないじめを受ける部分と、札幌の病院で友次さんに会って話を聞く部分とが交互に語られていき、行き違いや偶然も重なって、事態はさらに進展していく。

 

 

現代のいじめも、戦争中の末端の兵士に対する扱いもあまりにひどく、読んでいてつらくなるほどだけれど、物語は希望の持てる終わり方で救われる。

 

この物語はいじめや戦争についてがテーマかも知れないが、友人が両者の共通項として考えた「独りでは戦えない、声を上げられない、日本人」という点が、私には最も心に響いた。

 

始まりはいつなのか分からないが、少なくとも戦争中から、72年が経過した現在まで続いている、この主体性のなさこそが、いまの社会の諸問題の根本原因ではないかと思う。これをなくさない限り、安倍政権を倒してもまたそれに代わる独裁的政権が生まれるだろうし、官僚の忖度もなくならないだろう。

  

今までもいじめを扱った作品を読んり、テレビドラマでも見ているが、この作品を読んで、あらためて現代のいじめのひどさに驚かされた。また校則についても日米の違いが描かれているが、日本のそれのバカバカしさと、いまだにそうしたくだらないものが残っていて、教師がそれを守らせることにエネルギーを注いでいる愚かさに悲しくなる。

 

すべての教育に関わる人に読んでほしいものだと思うが、幼稚園児が一糸乱れず首相を応援するような教育を「美しい」「素晴らしい」と感動するような方々の心には、たとえ読んだところで何も届かないのかもしれない。

 

 

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鴻上氏の作品は初めて。中学生の主人公の視点で書かれているからか、文章は非常に平易で読みやすい。仮名遣いの違うところや、文中にたびたび出てくる「うなづく」という表記が、現在は許容の範囲ではあるらしいが、どうも目に入るたび気になってしまうという点はあったが、素晴らしいテーマで、なんとなく抱いていた著者のイメージが良い意味で裏切られた。