よんばば つれづれ

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新作能狂言面・能絵画展とウィリアム・モリス展

21日、22日と天気が悪くて遅れてしまったが、気持ちよく晴れ上がった今日墓参に出かけると、霊園に隣接する公園の桜が咲き始めていた。

 

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桜の木々の向こうに緑色に見えるのは、桜まつりに備えて準備を始めていた売店。

 

墓参のあと、気持ちの良い天気に誘われて足を延ばす。バスで豊橋駅まで行き路面電車に乗り換え、美術博物館へ。友人からお知らせの葉書をもらっていた「新作能狂言面・能絵画展」を観る。

 

主催は魚町能面同好会。共催の魚町能楽保存会は、民間の団体としては全国でも有数の重要美術品の能の装束や面を所蔵している。何年か前に白洲正子さんの本を見ていたら、同会所蔵の能装束の写真が掲載されていて驚き、浅学な私はそのとき初めて認識した(ただ、残念なことに面や装束は残っているものの、能や狂言そのものの伝承はない)。

 

一番多く出品されていたのは、やはり小面だった。同じ小面でも、作者によってずいぶん表情が変わる。そして今回は写真での展示だった古い小面は、顔の輪郭がだいぶふっくらしていた。時代の美意識の表れだろうか。

 

能面を観たあと、美術博物館の現在のメインの展示である「ウィリアム・モリス展」を鑑賞した。モリスの生まれ育った家も周囲の景観も素晴らしく、成長して学んだ学舎もみな重厚で美しい。こんなに美しいものばかり見て育ったら、それは美しくないものを見るのに耐えられなくなるだろう。

 

愛する女性との生活のために建てた家は、「レッド・ハウス」と呼ばれる赤いレンガ造りの、あまりの美しさにため息の出そうな家だ。窓の形も、そこから見える庭の景色も、すべてに美を追求している。

 

「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」というモリスの言葉が、強烈に心に響く。けれども、普通の市民がこうした本物の美しさに囲まれて暮らすには、ヨーロッパのように石造りの堅牢な家を何代にもわたって使い続ける文化が必要なように思う。

 

日本のように20年か30年で直したり建て替えたりしているのでは、いつも建築費に追われていなければならず、本当に良い建築材を使ったり、インテリアに贅を凝らしたり、庭にまで美を追求したりする余裕は持ちにくい。

 

ウィリアム・モリスの生活の中の美にうっとりしたあと、美術館内の喫茶で余韻に浸ろうと足を向けると、入り口に「3月25日で閉店します」の張り紙。おととしの秋、山下清展を観に来た時に新装オープンしていたのだから、まだ1年半しかたっていない。企画展とコラボしたメニューも・・・などと張り切っていたのに、現実は厳しかったか。

 

なんとか6時からのスタンディングまで時間をつぶして参加しようと思ったが、ランチもし、ティータイムもとり、そのあと豊橋公園の桜を楽しみ、豊川の流れを眺め・・・と思い切りのんびりと散歩したが、やはり家を10時半に出たのは早すぎた。駅前に戻った時まだ4時過ぎだったので、スタンディングは諦めて帰宅することにした。

 

 

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豊橋公園にいた猫ちゃん。丸々しているし毛並みも悪くないし、なんといってもものすごく人懐っこい。お腹までなでさせてくれた。でも、片方の耳が桜の花びらになっていたので、面倒を見てくれる人のいるノラなのだろうか。久々に猫の感触を楽しんだ。

 

 

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豊橋公園の桜開花状況。今週末はちょっと花見には早いか。

 

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鉄櫓を見上げる桜はまだまだ。

 

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豊川(とよがわ。豊橋に隣接する市は「とよかわ」だが、川のほうの読みは濁る)の流れと吉田大橋。ここには青春の思い出がいっぱい(甘い?酸っぱい?苦い?)。

 

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豊橋公園は戦争中「歩兵第十八連隊」のあった場所でもある。これはその戦争遺跡の「灰捨て場」。一日の終わりに、当番の新兵がタバコの吸殻と暖炉の灰をかき集めてここに捨てにきた。唯一上官の目が光っていない場で、ほんのひととき、ほっとできる場所でもあったらしい。

 

 

今日は相当歩いたはずなのに、こんな日に限ってなぜかスマホ歩数計アプリがストライキ