仕事を辞めてまもなく丸三年になる。このあたりでちょっとこれまでの生活を振り返ってみると、当初は自堕落な生活になってはいけないと思い、一日のスケジュールや一週間の予定を立てたりしたのに、いまやすっかりぐうたらな毎日になってしまっている。
だいたい私は規則正しい生活が苦手なのだろう。通勤という縛りがあればこそ、遅刻することもなく真面目に起床し、夜は夜で明日の労働に差し支えないようにと夜更かしもしないようにした。だから週末の夜はそういうことを気にせず好きな時間まで起きていられることが喜びだったし、目覚ましで起きなくても良いことが休日の楽しさだった。
そもそもそういう人間だから、いつのまにか最初の計画はどこへやら、ということになってしまっている。お婆さん猫が朝早くから大声で呼んでくれるので起床時間は平日も土日も(というか実際は毎日が日曜日なのだけれど)なく5時半前後と早いのだが、そのあとパジャマにガウンという格好でいつまでもインターネットにはまっている。
午前中に予定のある日はその朝のダラダラに制限がかかるので、稽古事もできれば午後からのものがいいなあなどと考えてしまう怠惰さだ。気候も良くなってくるときであるし、まずこれを正さなければ!
頭の冴えている午前中は勉強に当てようなどと計画していたのに、いったいいつまでちゃんとやっていたのか思い出せないようなありさまだ。古文書の先生は「予習はいいけれど、復習はしてくださいね。復習すると身に付き方がグッと違います」と最初に仰って、「よし、きちんと復習するぞ」と心に決めたのに、1年たったけれど、こんな調子なので少しも身に付いていない。
今日ナナホシさんのブログを読んで、きちんとした生活ぶりに感心してしまった。
こういう計画的な生活がまるでできていない。小さいお子さんのいるナナホシさんと違って、一人の私はいくらでも自分で決めたとおりにできるというのに、お恥ずかしい限りだ。
リタイア生活4年目を迎えるにあたって、なんとかもう少し規則正しい生活を送るよう、3年前の気持ちに戻って新規まき直しをしようと反省している。
ところで、今日『波王の秋』を読み終わった。以前雲龍さんが紹介していらした北方謙三さんの本だ。私も雲龍さんと同じくハードボイルドを勘違いしていたので、自分とは縁のない作家だと思い込んでいた。
雲龍さんのこの本の紹介ページ
文永・弘安の二度の元寇の少しのちの時代、玄界灘を中心とした海域で、巨大な元を相手に戦った海の男たちの物語だ。何人かのリーダーたちが出てくるが、やはり主人公の波王(はおう)小四郎が格段の魅力を放っている。カリスマ性も逞しさも繊細さも持っている。負け戦で多くの兵を死なせて苦しみ、悩み傷つく中からさらに偉大なリーダーに成長していく。
後半の戦いのシーンも見事だけれど、戦いのあと小四郎の味わう虚しさの描写には、安保法で揺れている今、妙にリアルなものを感じてしまった。
海に生きる部族の中で、唯一戦うことをしない「群(むれ)一族」という存在が出て来る。元や高麗、さらにもっと南の国などとうまく交易することで活路を開いている。小四郎たちの元との決戦にも独自の方法で加担する。この群一族のありようこそ、日本の生きる道ではないかと思えた。
元寇というと、教科書では「日本は台風によって奇跡的に救われ、大国元の襲来を退けることができた」というようないとも簡単な説明で片付けられてしまっていたが、実際は壱岐や対馬の人々が多大な犠牲を余儀なくされたようだ。そうした史実と物語の登場人物がないまぜになって、悲劇的な海の男たちが巻き込まれた運命に、より深い感慨を抱かせられ心を揺さぶられた。