よんばば つれづれ

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「華麗なるジャポニスム展」を鑑賞

名古屋ボストン美術館で開催されている「華麗なるジャポニスム展」に行って来た。同じ愛知県内に住んでいるのに、出不精の私は名古屋まで出かけるのは4、5年ぶりである。昨日の夜はちょっと緊張していた。

以前はしばしば名古屋の色々な美術館に行っていたのだけれど、いつも声を掛けてくれていた友人が都合で出かけられなくなって、お誘いが無くなった途端に行かなくなってしまった。あちらの友人こちらの友人が誘ってくれるお陰で私は出かけられるのだけれど、働かなくなった今、時間はたっぷりあるのだから、もう少し自分から誘いをかけるように改めようと一念発起し、前々から見たいと思っていたこの展覧会に友人を誘ってみたのだ。

豊橋にいる別の友人と駅で落ちあい、9時過ぎの名鉄で金山に行き、美術館で名古屋の友と合流。豊橋の友には母が足がむくんで困った時に診てもらった(西洋医学だけでなく漢方もハーブも、患者さんを助けられそうと思われることは何でも勉強している良心的なお医者さん)ので2、3年前に会ったが、それ以外はお互いに5年以上の時間を隔てている。「久しぶり〜」と言いながら全くその間隙を感じることなく昨日も一昨日も話していたかのごとくにドドーッと話が進んでしまうのが面白い。


そして、肝心な展覧会。西洋の画家たちや美術工芸品に多大な影響を与えた浮世絵が、その影響を受けた絵画作品や工芸品とともに展示され、興味深いものになっていた。この作品にもこんな形で日本の浮世絵が影響を与えていたのか、という発見や驚きもあった。北斎や広重の浮世絵は、今見てもほんとうに感心するばかりの斬新な視点やデザインのものが多く、つくづく江戸時代の文化レベルの高さに舌を巻く。

飛行機はもちろんなく、鳥になって飛んでみたこともないはずなのに、どうして俯瞰的な構図など思いついたのだろう。丸い窓を半分だけ描き、おまけに柱も、壁に掛かった花瓶と花までピッタリ半分だけ描く発想の自由さや大胆さ。しかもそうした絵が身分の高い人や金持ちの家に飾られたのではなく、庶民が買って楽しんだのだ。

外国との交流をほぼ断っていながら、驚くほどの文化の高さを持っていた江戸時代。これはやはり戦が無くなり、平和だったから生まれたものだろう。戦争から多くの科学の発達は生まれたけれど、その科学は人類を幸せにしたのか不幸せにしたのか・・・。


今回の展覧会の目玉とも言うべき「ラ・ジャポネーズ」。修復後世界で初の公開だそうだけれど、美術品の修復という技術力は言うまでもなく、繊細で集中力の必要な大変な作業、そして大変なわりには日も当たらない地味な仕事に、黙々と取り組んでくれる方々がいるお蔭で、我々は当初の状態に近い作品を味わうことができる。世の中は多くの縁の下の力持ちの地道な努力や堅実な仕事で支えられていると、当たり前ながらしみじみ感謝と尊敬の念を覚える。そう言えば、浮世絵も絵師だけが名を残しているけれど、凄腕の彫師や摺師がいて初めて生まれたものだ。


美術館のホームページより
「ラ・ジャポネーズ」  圧倒的存在感 
会場には写真撮影用の等身大パネルみたいなのがあったけれど、
顔を出す部分があまりに小顔で、半分くらいはみ出しそうな私は遠慮・・・