よんばば つれづれ

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ハロウィンパレード告知の新聞社回り

豊橋でのサイレントスタンディングを最初に始めた”言いだしっぺ”の方と二人で、午前中に市内の6つの新聞社を回った。今月31日に計画しているハロウィンPEACEパレードの告知記事や取材記事を書いていただくためだ。

 

ひょっとして話題性があるからと写真でも撮って記事にしていただけたらラッキー!と思って、私はかねて準備の魔女の仮装で行ったのだけれど、残念ながらどこも「写真を・・・」とは言われなかった。それどころか、お会いできたのは半分の3社で、あとの3社は鍵がかかっていてポストに資料を投げ込むだけという寂しい結果だった。

 

マンションの一室だった1社を除いては、中央紙の支社もみな結構立派なビルを構えていることに驚いた。普段近くを通っていても、新聞社の看板など全然自分の目に入っていなかったのだと、改めて思い知らされた。

 

その立派な建物からして、かつては大勢の人々が働いていたのだろうと想像されるのだが、今はおそらく数人の職員だけが残され、日中取材などで出てしまえば建物は鍵をかけられ、インターホンに応える人員すらいないのだろう。なんだか「兵どもが夢のあと」みたいで、かえって建物が立派であるがゆえにいっそう哀れを催すような気がした。哀れなのは現在新聞社の置かれた状況か、そのような扱いになってしまったこの豊橋市なのかは分からないのだけれど・・・。

 

 

それにしても、ほんの3か月前には、まさか自分か今まで冷ややかに見ていたハロウィンに関係して、こんなふうにして新聞社回りをするなんて夢にも思っていなかったのに、人生とは面白いものである。

 

4か月ほど前に”言いだしっぺ”の方が豊橋駅前で一人でサイレントスタンディングを始め、1か月ほどの後に私も参加するようになり、いまや私の意識の中でかなり大きな割合を占めるようになっている。”言いだしっぺ”がポンと池に投げ入れた小石の波紋が、だんだん大きくなり、少しずつ世の中に影響を及ぼしていく。

 

今日お会いした新聞社の方たちは毎日の駅頭でのスタンディングのことも知らなかったくらいで、まだまだとても「世の中への影響」とは言えないくらいの微力な存在ではあるけれど、ギターのM氏の言ではないが、100年後に実を結んでくれたら・・・という気持ちで、気長に小石を投げる、種を蒔く、地味な行為を倦まずたゆまず続けていこう。

 

毎日のニュースに気が滅入り、やっぱり大きな力には抗えないのかと無力感に襲われることも一再ではないけれど、先日の「悲しい社会だけど、希望も・・・」のエントリに今日いただいた若いお母さんのコメントなどを見ると、やっぱりここで負けてはいられない、諦めてはいけない!という思いを強くする。

 

スタンディングを始めたおかげで、素晴らしい人たちとの出会いもあった。今朝のNHKのニュースで「恋愛したがらない若者たち」を報じていて、その中に、今の若者には恋愛はコスパ(コストパフォーマンス)が悪いと考える人が多いという言葉があった。でも、人生はコスパではない。遊びやら無駄やら、どうでもいいような部分にこそ、結構宝物が隠れているのが人生ではないだろうか。

 

もしかすると、戦後の貧しさからアメリカの豊かさに追いつけ追い越せで必死に頑張ってくる中で、そういうことを私たち大人が次の世代に伝えて来なかったのかも知れない。考える前にまず走り出してしまう私など、コスパなどという言葉すら「予の辞書にはない」人生で、行き当たりばったりできたけれど、なかなか面白い人生だったと思っている。

 

ちょっと先の角を曲がったらどんな風景が広がるのか分からない(たしか、赤毛のアンにこのような言葉があった)、そこにこそ人生の楽しさ面白さがあるのではないだろうか。

 

目下の願いは、31日のパレードが、良い天候のもと、楽しく賑やかにやれたらいいな!

 

 

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写真はイメージです・・・。