階級国家でどう生き残るか
こういう記事を見ると、腹立たしいを通り越して呆れて脱力してしまう。
結局一旦選ばれた人間のグループに入れば、もう仲間内でグルグル利益利権の融通し合いで、その仲間ばかりがどんどん太っていくということだ。デザインなんてそもそも単純なものだから、どうしても似てしまったりするのかもしれないが、佐野氏の問題がとどまるところを知らない感じでエスカレートしていったのは、人々が案外早い段階から何となくこの胡散臭さを嗅ぎつけていたからかもしれない。
新国立競技場といいこのエンブレムデザインといい、それこそ大半の「一般国民」には生涯縁がなく、具体的に想像することすら難しいような巨額の損失を伴う訳だけれど、そのお金はどこから出され、その結果何が削られることになるのだろうか。きちんと関係者の責任を追及して、処分し、ペナルティを取って欲しい。でなければ国民はおさまらない。
学校にはスクールカーストなるものが存在するというが、この国にはいまやネイションカーストがあって、一旦三軍や圏外になったらほとんど這い上がれないのではないか。江戸時代の士農工商は、私などが学校で学んだ頃には人を身分で上下に分ける悪しき制度であるかのように教えられたけれど、今では必ずしもそうではないことが分かってきたようだ。たいていの領主は領民を大切にした(そもそも農民が農業に励みコメを生産してくれなくては国は成り立たない)ようで、百姓一揆も決してクーデターなどでなく農民から領主への正当な陳情手段だったとか。
それを思うと、主権在民であるはずの民主主義の現在の方がはるかに救われない気がする。先程夕方のニュースで、マイナンバーに銀行預金もメタボ健診も予防接種なども繋ぐようにすると報じていた。きちんと捕捉して貧困層に負の所得税や生活保護などが手当てされれば良いけれど、へたをするとそちらはウヤムヤで、取り立てるほうばかりしっかりになって、ますます「一般国民」は生きにくい世の中になりかねない。うっかりしていると、既得権層だけどんな抜け道や特典を設けないとも限らない。日々のニュースを、それも政権の息のかかった、かなりフィルターでふるわれたニュースを見ているだけでも、このような疑心暗鬼に駆られてしまう。
今まで何年か遅れでアメリカの後を追って来た日本であれば、もう少しすれば、金持ちだけが住める市などというものが出現するかもしれない。貧乏人ばかりが残された自治体では環境は荒れ、ゴミは氾濫し、治安も悪化・・・などということにならないとも限らない。どこかで今の政治を止めない限り・・・。
「♯本当に止める!」
非常に久しぶりの「懐かしの映画パンフレット」
階級が背景『風と共に去りぬ』(裏表紙)
これも階級が問題。