よんばば つれづれ

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無責任な好奇心

元少年Aの本が大変な売れ行きらしい。ご遺族の気持ちを考えると、こうして話題にすることさえ忌々しい気がするけれど、やはり考えたい。

 

この本の出版にどれほどの意味があろうと、ご遺族の了解が得られない限り一般的な形で出すべきではなかった。こうして出版するのなら、少なくとも本名を明かす覚悟が欲しかった。犯行時は少年でも、出版を決意したのは成人Aなのだから。その本を出すことの意味や影響も充分考える判断力があるはず。

 

このような卑怯な形での出版で、この本を店頭に並べることも、店頭でそれを求めることも、随分と勇気を必要とするだろうが、それでもやっぱりそこそこ売れてしまうのだろうなとは思っていた。けれども、まさか発売するや瞬く間に売り上げランキング1位になるなんて・・・。かくも一般大衆とは好奇心のかたまりであったかとあらためて驚く。その驚くべき売り上げのうち、学術的関心や犯罪心理の分析などの必要から求めた人がどれだけいるだろう。

 

書かずにはいられなかったというが、書くこととこのように強引に出版することと何の関係があると言うのか。書くなら勝手にいくらでも書けばよいが、こんな形で出版することはない。せめて、もう一度注目を集めたかったとか、印税収入が欲しかったとか、正直な言葉を聞きたかったと思う。出版社もそうだ。社会のためにこの情報を役立てるのなら、ほかにご遺族に配慮した方法があるだろう。

 

命を奪われた側は正当な抗議も出来なければ、もっと生きたかったという声を発することもできない。「その時」にどれほど恐ろしかったか、痛かったか、無念だったかも、何も言うことができない。なのに、なぜ、命を奪った側が「生きるのが辛いから」といって、このような勝手な発言ができるのだろう。しかも相変わらず匿名に守られて。

 

書いた者、出版した者、そして読んだ者。それぞれもっともそうな理屈は付けられるだろう。

 

 

私は乙武氏の発言を支持する。

 

 

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今日遠くから映画のチケットを取りに来てくれた友人が持って来てくれた、彼女の庭の紫陽花。深い青の色が素敵。

 

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そして、ずっと見たいと思っていた作品のDVD。嬉しい!

ネバーランド』もある。(^◇^)