よんばば つれづれ

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残念だった『借りぐらしのアリエッティ』。好きな人は読まないでね。

古い家の床下に住む小人たち、なんて魅力的な設定かと思う。原作は読んでいないけれど、面白そうな気がする。

なのに、映画は残念な作品になっていた。なんだか安っぽい「コイバナ」でしかなかったような印象だ。人物描写やストーリー展開がちょっとずつ浅いのだろうか。主人公にも周辺の人物にもまるで感情移入が起こらず、したがってアリエッティのお母さんがお手伝いさんにつかまり、害虫駆除の会社の人たちが呼ばれ捜索する危機的シーンでも、ドキドキすることもなかった。

作品の紹介記事などを読むと男の子は12歳という設定らしいが、病気ということもあるのかとても落ち着いていて、15,6歳に見えてしまう。だからそれにしてはドールハウスのキッチン部分を借りぐらしたちにプレゼントするシーンの描写などあまりに乱暴で、「優しい男の子」がアリエッティたちを喜ばせたくてした行為に見えなくなってしまっている。

またそれまでたくさんのやり取りがあって、ある程度彼とアリエッティの間に信頼関係が築かれてからならいざ知らず、大して親しくもない相手から、突然「君たちは滅びゆく種族なんだよ」と言われたらどんな気がするだろう。図太い神経の私が見ていても、「そりゃないんじゃない・・・」と男の子の無神経さにびっくりしてしまった。原作ではとても重要なセリフで、どうしても映画に入れたかったらしいのだけれど、それならなおさらそのセリフが生きる背景を作らなければ・・・。

借りぐらしたちにも情がわかないので、「借りぐらし?え、いつ返すの?返さないんなら借りるって言わないよ」と突っ込みたくなってしまうし、可愛い女の子の姿をしているからいいけど、あれがもっと醜い姿のモノだったら、〇〇〇リと同じじゃ・・・などと身もふたもないことが頭をよぎってしまって感動するどころじゃない。

小さなことだけど、アリエッティが髪を束ねるのに使っていた物、ラストシーンで男の子に上げる重要な小道具だけれど、解説によると「洗濯ばさみ」だそうだ。私は、洗濯ばさみの形をしているけど、大きさの比較からしてそうではありえない、なにかああいうかたちの小さな文房具でもあるのかな?と思いながら見ていた。大変なお金をかけて作る映画なのだから、そんな基本的なことちゃんと計算されているわよ・・・と思いながらも、様々なシーンで様々な物のサイズが気になってしまった(楽しくフィクションの世界で遊ばせるためには、こうした小さなことの積み重ねがとても大切と私は思っている)。


ただひとつ情を感じてしまったのは、アリエッティたちが床下で暮らしていたあの家が、盛美園がモデルになっていたという点だった。盛美園は私が15年暮らし、心のふる里とさえ思っている、津軽尾上町(現在は合併して平川市)の国指定の名勝だ。地元の由緒ある名家清藤(せいとう)家の武学流の庭園を持つ和洋折衷の鹿鳴館を思わせるような明治期の建築である。気位が高かった舅が、町内で唯一「うちより古い家柄」と認めていて、しばしば話に出てきた清藤家には親近感を覚えていたし、古いものの好きな私は、この建物も大好きだった。よくぞあのような田舎のあまり有名でもない(と思う)建物に目を留めてくれたことと感謝する。作品の出来がもっと良ければ、もっと嬉しかったのだけれど・・・。



そうして、何より一番残念というか、気分が悪かったのは、映画の間にこれでもか!というほど入ったジブリの最新作の宣伝だ。翌日が公開初日と何度も何度も叫んでいたけれど、でもこのアリエッティを放送して最新作の宣伝・・・、逆効果にならなきゃいいけどと、これは余計なお世話の老婆心です。