よんばば つれづれ

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アンネ・フランク関連本の受難

図書館の本を利用していると、汚れたり、しおり代わりに折ったらしい折りあとがページの角に残っていたりする本に出合うことがあり、とても悲しい気分になる。本を借りて読むからには決して本の嫌いな人ではないのだろうに。お互い気持ちよく利用できるよう、汚したり傷めたりすることのないよう、気を付けて読もうと思う。

それなのにわざわざ破ったり切り刻んだりするなんて!

アンネ関係の本が全国で何百冊も傷つけられていると言う。なんて卑劣な行為だろう。海外でも結構詳しく報道されているそうだ。ほんの一握りの心無い人のために、日本人全体が悪いイメージを持たれてしまうのは残念でならない。おりしも首相の靖国参拝問題が関係国の関心を集めているときでもあり、日本人全体が好戦的になっているかのように思われないかと危惧してしまう。

今日の新聞コラムは朝日も日経もこの事件に触れていた。それを読んでいて私も『アンネの日記』を読んだ遠い日を思い出した。そうそう、私もアンネのまねをして自分の日記帳に名前を付けたりしたのだった。迫害され狭い隠れ家から出られない非人間的な暮らしの中でも、ユーモアも失わず少女らしい恋心も失くさず、強く前向きに生きるアンネにどんなに励まされたろう。そして再び明るい太陽のもとでの生活を取り戻すこともできず、当時の自分といくらも違わない年齢で生を絶たれてしまったアンネの境涯に、ナチスの非道さを強く感じた。

何か抗議したいことがあるのなら、堂々と自分の顔を見せて意見を言えばいい。こっそり公共の本を傷つけて悦に入っているなんて。そのために一般の利用者が不自由を余儀なくされるかもしれない(実際いまそれらの本は読めない状況になっているだろう)。

世の中の様々なことはお互いの信頼関係によって支えられている。信頼されたらその信頼に応えたい。それがまた自分の快適さにもつながっていく。人が、社会が、国が、疑いを前提に成り立っていたら、どんなに生きにくいことだろう。

少し前に有川浩さんの『図書館戦争』という本を読んだのだけれど、国が許可しない本は一般の書店では買えず、公共図書館だけが所有できるが、それすらも命がけのまさに戦争で守っているという話だった。ありえない未来ではなく、私たち一人一人のつまらない無責任な言動が、そうした息苦しい社会につながらないとも限らない。