小学校の5年生か6年生の時でした。
担任の先生が教えてくださった詩が忘れられません。
『死んだ女の子』
1 とびらをたたくのはあたし
あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの
2 十年前の夏の朝
あたしはヒロシマで死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの
3 あたしの髪に火がついて
目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへとびちった
4 あたしはなんにもいらないの
誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない
5 とびらをたたくのはあたし
みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい
近頃は読んだ本も見た映画もすぐ忘れてしまいますが、子どもの時の体験はとても強く心に残るものです。細部は忘れているところもあったので今回ネットで調べましたが、こういう詩を小学生の頃に先生に教えていただいたということは強烈に印象に残りました。美術が専門で結構才能ある画家として地元で活躍なさっていたその先生は、芸術家のご多聞に洩れず気まぐれで我が儘なところがあって振り回されることもありました。けれども美術の指導はさすがと言うほかなく、クラスの殆どの子がそれまでよりのびやかな絵を描くようになりましたし、感性のしなやかなうちにこうした詩を紹介してくれたことにも感謝したいと思います。
今回調べてみて初めて知ったのはこの詩を作ったのがトルコの詩人だったということ。そして曲も付いていて、作られた当時、原水禁運動の集会や歌声喫茶(というものがはやった時代があった)でさかんに歌われたということです。
今日は終戦記念日、いえ正確には敗戦記念日です。4歳でこの日を迎えた私の姉は72歳です。戦地に行かれた方や、内地でも空襲や勤労動員、疎開などの大変な体験の記憶をお持ちの方々は、多くが亡くなったりかなり高齢になられたりしてしまいました。戦争を直接体験した日本人がもうしばらくしたらいなくなってしまいます。間接的にでも語り伝えていかなければいけません。忘れないことが死者へのいちばんの供養だと思います。そしてなにより、二度と道を誤らないための一番大切な手段だと思います。
あなたの周りに戦争の体験者がいらしたら、ぜひ話を聞きだしてください。今まで語りたがらなかった人でも、もしかしたらやはりタイムリミットを感じて、話しておかなければ・・・という義務感に目覚めていらっしゃるかもしれません。思い出したくもないつらいことでしょうけれど、直接聞ける時代に生きている私たちは、そうした方々から聞きだして次世代に伝えるのが役目だと思います。『少年H』も『風立ちぬ』も戦争を描いている映画です。また今までにもたくさんの優れた本や映画やドラマが作られています。でも身近な人の口から語られる戦争は、そうしたものから知る戦争とはまた違ったものを感じさせてくれると思います。
この記念日がお盆のこの時期にあるというのも意味深いものを感じます。この日の式典を形骸化させず、10年後も20年後も、家族で戦争の話をちょっとだけでもしたいものです。首相や大臣も靖国に参拝するばかりが供養ではないでしょう。時には、子や孫に自分の身近な人の戦争体験の話を聞かせて、平和の尊さを再確認しあう姿がニュースで流れてもいいのではないでしょうか。形にとらわれて周辺をピリピリさせるより、ずっと人間的で温かい空気が流れると思います。それをけしからんとおっしゃるような心の狭い方たちなのでしょうか、英霊と言われている方々は・・・。