よんばば つれづれ

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『嗤う伊右衛門』ちょっとネタバレ

今頃?という感じでしょうが京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』を読みました。地区市民館の図書室に行って何気なく手にとって読んでみたら面白くて止まらなくなり、借りてきて家で一気に読みました。

四谷怪談を下敷きに著者が全く新しい解釈で構築しなおしたお話です。主人公とお岩の純愛物語になっています。岩の、外見に全く執着せず精神の孤高を求める潔癖さは素晴らしいですが、ただほんの少し女らしい軟らかさがあったら現世でもっと幸せになれたし、何より愛する人を苦しませずに済んだのに・・・と思います。思っていても互いの気持ちがすれ違ってしまうことは現実にもあるし、それだからこそこのお話が胸をかきむしるような悲しい恋の話として成立しているのですが、人間はやはり素直さ、優しさが大切だと改めて思い知らされます。

一方、伊右衛門はほとんど難癖のつけようがありません。いざとなれば腕が立つのだけれどまるでそれをひけらかさない。金にも出世にも無欲。岩の容姿などに全く頓着せずきちんと人間としての本質を見抜いて愛します。伊右衛門がよかれと思ってすることに岩がなんだかんだと文句を言っても、ひたすら穏やかに受け止めます。理想的なだんな様ではないでしょうか。それなのにささやかな現世の幸せを掴むことができなかった悲運のひとです。

脇役の又市という人物もとても魅力的ですが、全編通して悪逆非道の限りを尽くす与力伊東喜兵衛という人物が気になりました。自分の手下も含む周りの人全てに当り散らし悪行三昧でさぞや楽しい毎日かというと、これが何をやってもおもしろくない、のです。心の奥底に満たされないものがあって、それを埋めたくて悪いことをしてしまうのだけれど、砂を噛むような思いばかりが残って、それをごまかすために又ひどいことをしてしまうような可哀相な人間です。どうも人として生まれた最初のところに彼の不幸の根っこがあるようです。とかく敵役の方は型どおりの薄っぺらな描き方しかされないことが多いように思いますが、喜兵衛が人を泣かせて面白がっているのではなく、いつも嫌な気分を味わっている、その描写を入れたことがこの人物に深みや陰影を与え作品全体もより魅力的にしているように感じました。

純粋に相手を思った主人公2人と対照的に、岩の父や袖の兄の直助などを通して、大変な娘思い、妹思いと思われるのだけれど、実はそれがあだとなる利己的な愛も描かれています。現実にはむしろこのレベルの愛のほうが多いのかもしれません。この物語ほど極端ではないにしても、親の勝手な愛が子どもを苦しめたりしていることはよくあることです。気をつけたいものだと思います。

登場人物の誰も幸せにならないような物語なのですが、不思議と読み終わったときの気分は暗くも重くもありませんでした。そう、きっと生真面目すぎて一度も笑う顔を見せなかった伊右衛門が今はきっと「嗤っている」と思えるからでしょう。