よんばば つれづれ

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バス停、郵便ポストの撤去

近くにあった国立病院が郊外に引っ越してから、ここを走るバス路線の本数が減っていましたが、去年の秋からはとうとう路線自体が廃止になり、1,2ヶ月前にバス停の建物も撤去されてしまいました。母がうちにいた頃、散歩の途中ですぐ疲れてしまう母がバス停のベンチで座って休んでいたところ、ちょうどバスが来て止まり、乗るわけじゃないと運転手さんに謝った話をよく笑い話のようにしていた思い出のバス停です。母はもう自分のその体験を忘れてしまったことでしょうけれど。

時を同じくするようにように、我が家からいちばん近い郵便ポストも撤去されてしまいました。ポストのあるところの家で切手や葉書を扱っていたのですが、おそらくその業務をしていたお年寄りが続けられなくなるか亡くなるかしたのでしょう。そして利用頻度も低いしということで撤去ということになってしまったのでしょう。私は電話をするより葉書一枚書く方が気が楽という人間で、絵葉書やきれいな切手を常備して、お礼やら連絡やらと結構手紙を書くのですが、書き上げると歩いて数分のそのポストに投函に行きました。そのポストが消失したので、いちばん近い郵便局にしろ、電車の駅にあるポストにしろ、書いたついでにちゃちゃっと投函に行ける距離ではなくなってしまいました。

生活は便利になっているんでしょうか。パソコンや携帯電話を利用している人には便利でも、昔ながらの暮らし方をしている人にはだんだん生活しにくい環境になってきているように思います。私はパソコンは使っていて、通販などは便利に利用していて、重たいものもかさばるものも早ければ1,2日で家まで届いてとても助かっていますが、通販を使えず車も持っていない人にとっては買い物は大変な時代で、「買い物弱者」などという言葉も生まれています。

私が子どものころ(昭和30年代)は自分の家のある1ブロックかその近辺だけで、八百屋、魚屋、駄菓子屋、畳屋、新聞販売店、文具店(貸本もやってた!)などがあり、鰹節を持っていくとふわふわの鰹節を削ってくれるところまでありました(これだけで商売になっていたのだろうか?)。豆腐屋さんは自転車でパプー、パプーと売りに来たし、ロバのパン屋さんも来ました。隣のブロックのおじいさんはリヤカーか荷車のような屋台にいろいろな佃煮やおかずを並べて売り歩いていました。(青森では私の住んでいた平成の時代でも魚屋さんがリヤカーに商品を積んで回って来ていました)何ヶ月かごとに、廃品を回収する業者も回ってきましたし、傘や穴のあいた鍋を直す業者も回ってきました。日常の大概のことは家から半径数百メートルかそこらの範囲でこと足りていたのです。

道路が歩く人のものでなくなり、家々に売り歩いてもそれを待っている家人が不在の時代になってしまったのですから、こんな話をしても年寄りの郷愁でしかありませんね。私自身一箇所で買い物全てが完結するスーパーマーケットは便利だと思っています。でも、便利ってなんと味気ないこと・・・とは思います。

これからまた何十年かたった時、私たちはいったいどんな暮らし方をしているのでしょう。