よんばば つれづれ

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年々静かになります

町内のお祭りの花火(打ち上げではなく小さな爆竹)のことです。

10月の第二土曜と日曜がうちの小さな町内の祭礼です。二十年近く前に越してきた当時は、朝からずうっとバンバンバンバン大変な賑やかさでした。それがいつの間にか午後から始まるようになり、終わるのも早めになって、今年は午後2時頃から、お神輿が練り歩いている間の数時間だけという感じでした。いつも花火の音がしている間は猫たちが落ち着けない様子なので、今日と明日は家にいることにして、母のところには月曜の休日に行くことにしたのに、拍子抜けしたほど静かなお祭り第一日でした。

きっと苦情が多いのでしょう。私はもともと祭り好き人間なので、こんな時は我慢しなきゃしょうがないよねと思っていましたが、祭りが好きでもない人には大変な苦痛だろうと思います。私が子どもの頃は花火は男の子のものでした。(だいたいお祭りというもの自体ほとんど男のものです)私はお転婆で男勝りだったので黒い前掛けに祭り半纏で花火を出す男の子がうらやましく、小学校3〜4年生くらいになると女だてらに花火をしました。だからお祭りの2日間くらい大人は我慢して花火を出させてやりましょうよと思うのです。

でもこの町内はほんとに小さくてままごとのような祭礼なので、お神輿に参加するのはちっちゃい子ばかり。花火も自分では出せないような子が多く、ほとんどは景気づけのために大人が出しているのが実情です。しかも住民が高齢化していて子どもの数は年々減るばかり。これではもし花火の音がうるさ過ぎると苦情を言われたら、反論する元気はあまり出ないかもしれません。

敬老の日の催しも、住民が高齢化しているにもかかわらず出席するお年寄りが少なく、だんだん簡素になっていきます。絆の大切さが叫ばれる昨今ですが、現実にはやはりなかなか難しいものだと思います。絆とか情とかは面倒とセットになっているもの。祭りはうるさいし敬老会(って名前も問題だけど)なんてとんでもない、こちとら年寄りじゃないわい、そんな集まり参加できるかって言っていてはなかなか隣組の絆は結べません。

でも私自身もあと5年くらいで老人会なんかに声掛けられても、ちょっとまだ結構ですと思ってしまうので、老人会とか敬老会っていうものを時代に合った感覚のものに変えていかなければいけませんね。伝統や価値観を次々と変えてきた団塊世代が、新しい高齢者像を作り出し、超高齢化といわれる社会で、若い人たちが希望を持てる世の中にするためにもうひと働きしないといけません。