よんばば つれづれ

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動揺しない暮らし方

学校一斉休校の週が明けた。今のところ我が家の周辺はとても静かだ。小学校がすぐ隣なので、学校のある時よりむしろ静かなくらいだ。

 

でも、なんだか政府の対応によって、世の中はいっそう混乱が深まっていっているような気がしてならない。不足する学童保育にあいた教室を利用するという矛盾が起きているが、さまざまなイベントの延期や中止も、逆効果にならないだろうか。ウイルスの拡散こそある程度防ぐかもしれないが、社会不安は確実に増大されているように思う。

 

私は幸い持病もないので、今もし37.5度以上の熱が4日ほど続いたり咳が出たりしても、よほど耐え難いほどつらくなければ、PCR検査も受診も考えない。どうしても出かけなければいけないような用事もないので、万一を考え、ウイルスを拡散しないようじっと家にこもって養生するだろうと思う。

 

今朝、近所のお年寄りから電話があった。買い物に行く途中自転車で転んでしまった(幸い怪我はなかったらしい)という話の中で、やはり店にトイレットペーパーが全くなかったと言う。まだ買い置きはあるというので、大丈夫すぐに商品は出回るからと言って安心してもらった。

 

私は最近の非常食の考え方のローリングストックというのを取り入れているので、贅沢さえ言わなければ、買い物に出なくてもおそらく一か月くらい食つなぐことはできる。もちろん、電気や水道が使えない状態になってしまえば、せいぜい一週間程度になってしまうだろうけれど。

 

今回の騒動で、これに雑貨も加えようと思った。そもそも私は何度も書いているように、近所のスーパーの「65歳以上は一割引き」である「6」のつく日に、保存のきく食料品や雑貨はまとめ買いしている。それで、雑貨類はあと10日持ちそうにないくらいになると次のものを購入するようにしているが、その基準を「一か月」に変えることにした。

 

そうすれば、災害の時にしろ今回のような騒動の時にしろ、在庫が尽きそう!と慌てることはないだろう。何十年も昔のオイルショックの時も、品不足の商品を買うために行列を作ることもなく、たいして困ることもなかったが、ちょうど紙や洗剤が底をつきそうというタイミングに当たらなかったという幸運もあったのだと思う。

 

日頃からできる備えをし、しばらくなら自力で何とかなる暮らしを心掛ける人が増えれば、それだけ病人がいたり小さな子を抱えたりしているところに、援助が届きやすくなるだろう。非常時にまず自分の身を守ろうとしてしまうのは生物として当然の反応だろうが、いったん深呼吸して、命にかかわるほどか、もっと優先すべき人がいないか、大事故の際のトリアージのように判断する力と冷静さを持ちたい。

 

 

comemo.nikkei.com

 

この記事の最後の言葉に、非常に共感する。

いっそのことみんなで政府の事は無視して、危機感を煽るだけの下らないマスメディアもシャットアウトして、優秀な民間だけで動かしていった方が、早く状況が改善する気がしてなりません。

 

 

【追記】

この記事の「雑貨の補充基準を一か月に」という変更は、現在の新型コロナウイルス騒動が収まって世間が常態に戻ってからいたします。それまでは何も買い足したりせず、とにかく極力普段通りの生活を心がけたいと思います。

 

 

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騒動の余波 続編

スタンディングのミーティングがあり参加した。今日は10人以上でも大丈夫な会議スペースが確保できていたのだけれど、出席は6人だった。いつぞやとは反対の皮肉な結果。

いつぞや:

yonnbaba.hatenablog.com

 

日頃は忙しさにかまけて政治どころではない働くママさんたちも、さすがに今回は憤っているようで、なんとかのど元過ぎてしまわないうちに、怒りの可視化をしたいものだと話し合った。しかし、この時期街中で集まって集会だのデモだのしていたら反感を持たれて、逆効果になりかねないという意見が出る。

 

それどころかメンバーの一人から、関係している学習支援の教室が、会場(市民館)側から中止するように言われたという報告があった。同じ会場の2階で学童保育が行われており、そちらは国の方針で休まないのに、それより小規模のボランティアによる学習支援教室は休まされるなんて、とそのメンバーは怒っていた。

 

地域のさまざまなささやかなイベントにまで、自粛ムードが押し寄せている。新型コロナウイルスの広がりもさることながら、これには政府の学校一斉休校やイベントの自粛要請が大きく影響しているように思われる。昭和天皇崩御のときや、東日本大震災後の沈鬱な社会の空気を思い出す。それでなくても株価も暴落し経済は大沈滞しそうなのに、この自粛ムードでますます不景気な雰囲気に拍車がかかりそうだ。

 

正しく怖れ予防する必要はあるが、重症化する恐れのない若い人や元気な人まで委縮してしまったり、遊んだり笑ったりすることが不謹慎であるかのように見られる雰囲気になるのは、ウイルスの蔓延に劣らず怖ろしい気がする。

 

心臓に毛が生え、お顔の皮が特段に厚くできていらっしゃる政治家の方々は、平気で毎晩宴会、いや会食をなさっているようだが、庶民はもっと繊細なのだ。首相の配慮の足りない一言で、マスコミは忖度した発信をし、小心者の庶民は怯える。そうしたことに流されない人が元気に楽しんでいれば、徒党を組んだ小心者に寄ってたかって叩かれる怖れも発生する。オリンピック後の経済の落ち込みを心配していたが、その前にガタガタになってしまいそうだ。

 

残念ながらぼやき合いにとどまり、肝心な怒りの可視化の名案は見つけられなかった。

 

 

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参加したメンバーが披露した、コーヒーフィルター利用のマスク

 

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おしゃべりしながら2、3分で製作 材料はフィルター2枚、ゴム紐、糊

ついに騒動の余波が押し寄せた

だれかさんの「やってる感」アピールによる騒動の波が、ついに市井の片隅の一人暮らしの家庭にも押し寄せてきた。

 

小学校からも中学校からも、来週から休業となり、卒業式は卒業生と職員のみで行うというメールが配信された。去年は足の手術後まだ間もなく、長時間じっと座っていることに不安があったのでどちらの卒業式も欠席したが、今年は出席で返事を出しておいたが、参加の必要が無くなった。

 

今朝のニュースでも、貸衣装店に袴などのキャンセルの電話が殺到していると報じていた。キャンセルはきかない契約になっているところも、無料の撮影会や同額の利用券サービスなどを提供するとか。

 

すでに先日お隣の蒲郡市の老舗温泉旅館が、外国人観光客激減のため倒産したニュースがあったが、これから中小零細企業の倒産はどんどん出てくるだろう。小中学校の卒業式には、来賓への当日の茶菓子や紅白饅頭が準備されるが、おそらくそれも急遽キャンセルや数量の激減となり、担当している菓子店には打撃になることであろう。

 

また日本語教室を運営している国際交流協会からも連絡が入り、日本語教室も今日から3月13日まで中止にするとのことで、私たちの教室は12日が今期の最後の学習日だったのだが、生徒さんにもスタッフにも会えないまま春休みに入ってしまうことになった。

 

学校を一斉に休みにしても、社会に混乱を広げるばかりであまり効果はないと思うのだけれど、自分が使用人に育てられたり、我が子も自分の手で育てていないおぼっちゃま方には、学校が休みになれば、周辺にどんな騒動が巻き起こるかの想像はつかないのだろう。

 

重々わかっていたはずだったが、今回の新型肺炎騒動で現れた馬脚は想定をはるかに超えるもので、もう腹を立てるとか呆れるを通り越して、笑ってしまうしかないくらいだけれど、やっぱり情けなくって涙が出ちゃうよね。

 

このつぶやきには思わず笑ってしまった。

 

 

【追記】

卒業生だけの卒業式では「先輩、胸のボタンを・・・」なんてシーンもないのね。いやもうこんなシーンはもともとないのだろうか?

卒業式、入学試験、入社式・・・。いろいろ人生の節目の季節なのに、めぐり合わせてしまった人たち、お気の毒。

 

 

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アタシのほうが賢そうじゃない?    byドリーム

ちょっとたんまで、言葉遊び

なんだか新型コロナウイルス騒ぎに隣人の心配やらも加わって疲れてしまったので、今日はちょっと言葉遊び。

 

タイトルにした「たんま」は、全国的に伝わるのだろうか。子供の頃、友達と遊んでいるときによく使った。かくれんぼなんかの最中に、「ちょっとたんま!」。「ちょっと待って」「タイム」である。

 

並び方が変わると読み方が変わる熟語 を集めてみた。読み方だけでなく、意味や言葉の実体そのものがまるで変ってしまったりして面白い。

 

まずは、    月日  日月

        根性  性根

        規定  定規

        潮風  風潮

        母乳  乳母

        下手  手下

        分子  子分

        分野  野分

まだまだ    風神  神風

        空虚  虚空

        水着  着水

身近なところに 日本  本日

        毎日  日毎

        左右  右左

        風雨  雨風

        当日  日当

う~~ん・・・・  相手  手相

        出家  家出

        重荷  荷重

        種子  子種

        木霊  霊木

さすがにもう力尽きたかな。 

みなさまはもっと思いつかれましたか?

 

【追記】

ブックマークコメントでご参加くださったわっとさん、すごい!

これだけ挙げられた後に、サラッとあれだけ浮かぶとは!!! 

 

 

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電灯のひもで遊ぶ子猫の頃のドリーム

民生委員研修会と地域の問題続報

民生委員児童委員協議会には4つの専門部会というのがあり、メンバーはそのどれかに属することになっている。今日は私の属する部会の研修会があった。この状況だから、中止にするという連絡が来るかなとちょっと期待を持ちつつ待ったが何の連絡もなく、通常通りに開催された。

 

四分の一とはいえ全市からの参加なので、会場には100人以上の人が集まった。定刻が近づくと係員が入り口のドアを閉め始めたので、今日は幸いあまり寒くないし、換気のためにもドアは開けっ放しにしておけばよいのにと思ったが、しっかり全てのドアが閉められた。

 

挨拶の中で、協議会の副会長が「中国では新型コロナで大変なことになっていますが・・・」と言うのに驚いた。えっ、他人事(ひとごと)?いまや日本のほうが大変なくらいの状況だと思うのだけれど・・・。これでは研修会が中止になどなるわけがないと納得した。

 

今回も、一人ひとりA4サイズのりっぱな封筒入りの資料(中身はA4のプリント数枚のみ!)と、ペットボトルのお茶が受付で手渡された。何かあるたびに使われるこの名前入りの封筒やお茶をやめて、浮いたお金を赤い羽根の募金に回すなどすれば、委員が街頭に立って募金を呼び掛けるよりはるかに金額は多くなるように思うのだけれど、こうしたものが積み重なって日本のGDPを押し上げているのだろうか。

 

そういえば、プラスチックごみ削減のためペットボトル飲料の配布は止めませんかと言うつもりでいたのに、うっかり忘れてしまった。次の機会にはぜひ申し入れよう。

 

 

やっと三連休が明けて、管理センターに事情を尋ねることができた。センターでもXさんについて1月までの長期不在以外何も聞いていないということで、本人や親族に連絡を取って折り返しくれた電話によると、今回は必要な手続きをするための一時帰宅で、また親族のところに戻るとのことだった。

 

ただ、本人は階段の上り下りをして部屋で暮らしていると言っているそうで、もし実際には車で過ごしているようなら、この時期命にも関わりかねないから、直ちに親族のもとに行ってもらうようにしますと言われた。ちょっと気をつけてみるようにしてくださいとのことで、観察力の足りない私では心もとなく、いつも力を借りるNさんにも協力を頼んだ。

 

前回ブログをアップした日の夕方、自治会の会長さんからも電話が来て、何かあってからでは遅いので、警察に相談しておいた方がいいのではないかと言われた。それで警察に相談したのだが、夜間車で寝ているとしても、やはり警察は本人が望んでそうしている以上何もできないという返事だった。ずっとエンジンをかけていてうるさいとか、周囲から何かしら苦情が出るなどすれば別だがとのことだ。

 

そんなわけで、結局何も手を打てず、じりじりする思いで連休明けを待っていたのだ。こちらにいる間Xさんが何事もなく過ごせ、親戚に戻って快適な暮らしができるようになることを願う。それまでの間、何か援助を必要としないか、うまく声掛けをしないといけない。

 

打たれ慣れない私は、ピシッとはねつけられてしまうとキャインッとばかりひるんでしまうが、たけさん(id:Greenweekends)が前回のエントリーのコメントに書いていらしたように「人間関係で傷ついた人に心を開いてもらうためには時間と労力、根気が必要」だ。そうした人と関わることのある私は、そのあたりの根気や努力がまるで足りないと思う。民生委員の器ではないなあと思うけれども、している以上はそうも言っていられない!

 

 

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我が家の庭で咲いた水仙(真ん中の丸い部分の色が薄く、肉眼ではほとんど全体が白く見える)。

車中の人々

昨日、録画しておいたNHKスペシャル『車中の人々 駐車場の片隅で』を見て衝撃を受けていたら、思いがけなく自分の足元で似たような事態に出くわしてしまった。

 

今朝8時前に老人会のNさんから電話が来た。私の棟の最上階の住人であるXさんが、駐車場の自分の車のそばに車いすを置いて中で寝ているらしいと言う。死んでたりしたら大変だから、何か打つ手はないだろうかと言われた。二日ほど前にも、Nさんから「Xさんが階段の途中で上がれなくなったらしく、座り込んでいるよ」との連絡を受け助けに行ったところ、大丈夫だとかたくなに断られたばかりだったが、とにかく様子を見に駐車スペースに行ってみた。

 

車の窓は、中が見えないようにしっかり全て塞いでいる。わずかな隙間から覗こうとすると、たちまち中からドンとガラスを叩かれた(良かった!最悪の事態はない)。声をかけると、「管理センターに言ってある。プライバシーの侵害だ」と言われてしまい、スゴスゴ戻るしかなかったのだが、どうやら車の中で寝ていたというのは間違いないようだ。少し前までお母さんの介護をしていらしたのに、いつの間にご自分が車椅子生活になったのか、Xさんは近所付き合いをしない方なので、全く知らなかった。

 

Xさんはこのところずっと家を空けていた。神奈川のほうの親戚のところに行っているらしいという話が聞こえてきてはいたが、誰も正確な話は知らない。先日階段で座り込んでいた時にも、「これからまたこちらに住まれるのですか」と聞いてみたが、返事はなかった。住むなら住むで、下の階に移るなどしないと、とても車椅子での一人暮らしは不可能だろう。

 

Xさんが高齢のお母さんを介護していた時から、折りを見ては「手がいる時は言ってくださいね」など声掛けをしていたが、いつもそっけない返事だった。それでも、前回と言い今日と言い、ここまでかたくなに拒否されるとは思っていなかった。

 

ちょうど連休中なので、明後日まで管理センターに問い合わせることもできない。きちんと現状を伝え、下の階への転居など、今後の手立てが処理済みならいいけれど、そうでなければ当該機関に相談する必要があるだろう。でもXさんのあの様子だと、それも結構難航するかも知れない。

 

番組でインタビューを受けていた人たちからも感じたが、本当に困っている人は得てして助けを求めるすべを知らないか、知っていても、援助を求めることを潔しとしないことが多い。世の中には、驚くほど要領よく、悪用とすら言えるほどに救済システムを利用する人もいるのだけれど。

 

番組で取り上げた人たちの中には、年金を月10万円受けている人(公的住宅があるか、住宅手当などさえあればギリギリ生活できるのでは?)もいたし、車中生活になる前に借りていたアパートのある人、故郷に自分の家がある人もいた。ある50代の夫婦など、家もあり二人とも看護師の資格さえ持っているのだけれど、人間関係に耐えられないようだった。

 

気楽だからと望んで選び取っている人もいるので、車中暮らしの人を一概に不幸だと決めつけることはできないが、やむを得ずその状況にいる人は、なんとか援助の手を差し伸べたいものだ(番組ではNPOの人が関わっていた)。赤ちゃんを抱えて、車中生活をしている30代の母親もいた。

 

社会のシステムになじめなかったり人付き合いが苦手だったりする人に、さらに不運が少し重なると、簡単にセーフティーネットから転落してしまう。もちろん人生は思うようにならないことが多いものではあるが、人としてこの世に生を受けた以上、誰もがもっと喜びのある人生を生きていいはずだ。特権や有り余る財を持っている人々の視野には、こうした厳しい生活を余儀なくされている人たちの姿は入らないのだろうか。

 

人を踏みつけて手にする快楽など、むなしいという思いにとらわれることはないのだろうか・・・。

 

www.nhk.or.jp

 

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女たちそれぞれの愛『四色の藍』西條奈加著

主人公は藍染めの店紫屋のおかみ環(たまき)。貧しい暮らしのため子供のころから働き通し、料理茶屋の仲居をしているときに紫屋の主人茂兵衛に見初められ後妻となったが、もともとは武家の娘だ。

 

年の離れた夫に大切にされる幸せな日も長くは続かず、ある日出先で茂兵衛が殺されてしまう。職人気質の茂兵衛はその日、新しい藍の色を染めることに成功し有頂天だった。その新しい色の秘密を手に入れんがための商売敵東雲屋の仕業とにらみ、環は主の三左衛門を問い詰めようと日参するが、やくざまがいの男たちが店を固めていて、目指す三左衛門には会えない日が続いている。

 

そうした中で、阿波から兄の仇を追ってきた男装の麗人伊予や、酌婦のお唄、洗濯婆のおくめと知り合い、力を借りるようになっていく。環の夫を殺めた犯人探しに、阿波藩の藍の生産をめぐる汚職事件も絡んで、物語は進んでいく。

 

ミステリーを縦糸に、女たち四者四様の大切な人への思いが横糸のようになって紡がれるストーリーは、なかなか魅力的だ。憎みながら憎み切れなかったり、反発しながら共感するものを感じあったり、べたつきすぎない情の通い合いが快い。

 

男女の情以上に、女同士の相手を思う気持が、爽やかな読後感を残す物語だった。

 

 

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