よんばば つれづれ

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時代に翻弄された恋『恋歌』朝井まかて著

今回の『恋歌』は、7月に朝井まかてさんの『眩(くらら)』の感想をアップした折り、AO153(id:A0153)さんがコメントでご紹介くださった作品だ。

 

明治時代に『藪の鶯』を書いた三宅花圃が語り手となって、短歌の師である中島歌子が幕末の水戸でたどった数奇な人生を描く。物語の大半は、その中島歌子が綴った手記の形をとっている。将軍や暗殺された老中田沼意次はもちろん、天狗党や諸生党に属した実在の人が数多く登場し、史実に脚色も加えて、非常に興味深い話が語られる。

 

 

水戸藩上屋敷の目と鼻の先という地の利もあって、定宿の指定を受ける池田屋の娘登世(のちの中島歌子)は、ある日宿で見かけた水戸藩士林忠左衛門以徳(もちのり)に心を奪われ、舞い込む縁談には目もくれない。

 

以徳のほうも犬を介して言葉を交わした登世に惹かれ、桜田門外の変で揺れる世情を背景に、運命の二人はついに結ばれることになる。やっと思いがかない、武家の習慣に戸惑う兄嫁を、冷たい目で突き放す小姑の「てつ」の仕打ちもものともしない登世だったが、そんな幸せも長続きはしなかった。

 

以徳は藩の勢力争いや開国をめぐる不安な政情の中で、武士としての信義から、激しい争いに身を投じていく。やがて形勢が逆転し諸生党が力を得ると、天狗党に対する憎しみの報復は苛烈を極め、身分の低い武士の妻子までことごとくとらえて衛生状態も劣悪な牢に入れた。

 

登世も義妹のてつとともに牢に入れられ、夫の友人の妻女や年端もいかぬ子供たちが日々処刑されるのを間近に見るようになる。この極限状態での女や子供たちの描写が胸を打つ。身分の高い武士の妻たちの、どこまでも気品高く凛とした態度。寒さに身を震わせる状態のなか、新入りのものに自分の筵を与え、明日は死ぬかもしれないというのに、子供たちに論語を暗唱させる。

 

地獄のような囚われの日々を、登世はひたすら以徳に生きて再び会うという希望にすがって耐える。

 

数か月ののち、多くの妻女や子供たちが命を落とし、生き残った者も幽鬼のようになりながらも、解き放たれる日が来た。一族郎党処罰され身を寄せるべき縁戚もなく、登世はてつとともに以徳に会える可能性の高い江戸へ行くことを選ぶ・・・。

 

 

天狗党という名称は、新選組芹沢鴨にまつわる知識として知っていたが、幕末の水戸藩でこのような悲劇があったことは全く知らなかった。男は損得からであれ信義ゆえであれ人生を自分で選びとるが、女や子供はその巻き添えを食う。それでも、誰を恨むでもなく毅然として処刑されていった武家の妻や子たちがいた。教育というか、刷り込みというか、美しくも悲しい。自由の時代の私など、天を恨み人を恨み、あらん限りの力でジタバタしそうで、みっともないことこの上ないであろうと思う。

 

終章で思わぬ登場人物が現れ、恨みや報復の連鎖が消える。許すことの難しさや素晴らしさを思わずにはいられない。

 

愛する夫と、結果的に今生の別れになったその時に、夫の歌に返した自分の作があまりにありきたりで情けなく、なんとしても良い歌を詠めるようになりたいと和歌の道に精進し、一世を風靡する女流歌人中島歌子となったという登世。人間としては問題も多い人だったようだが、こうした激しい人が、私は嫌いではない。

 

君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ

 

中島歌子の辞世の歌だという。

 

 

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