よんばば つれづれ

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誰の身にも困難は降りかかる

わっと(id:watto)さんのブログに啓発されて、私もごくささやかな貧者の一灯をともそうと、朝から郵便局に出かけた。

 

www.watto.nagoya

               (happy-ok3さんもブログで紹介していらっしゃる)

 

歩いていると、後ろから来た車から「おはよう」と声をかけられた。見守り隊の相棒のYさんだった。これから畑に今日の収穫に行くという。「キュウリある?」と言うので、「もう食べちゃいました」と答えると、今日また持ってきてくださるとのこと。「気を付けて運転してくださいね」と見送る。Yさん、おんとし85歳である。

 

こうして元気な高齢者がたくさんいる一方で、大変な病気で辛い日々を送っている若い人たちがいる。代わってあげることはできないけれど、祈ったり、高額な費用のカンパに、できる範囲で協力することはできる。こうした呼びかけが、ネットで手軽にできる点は、現代の良いところだと思う。

 

事故も難病も大変不運なことだけれども、どんなに機械の性能が上がり、医学が進歩しても、常に一定程度の事故や難病は発生するだろう。誰の身の上にそれが降りかかり、誰が免れるかは運一つだ。今安泰だからと言って、これからもずっとそうであるかは分からない。だから、今自分にできることをしておくのは、結局は自分のためになるのだと思う。

 

こんな風に私は考えるので、安倍政権とその周辺の人というのは、未来永劫自分たちが弱者の側になることはないと信じて疑わないのだなと、感心してしまう。いや、何があろうと解決してしまえるだけの財力があるというのだろうか。まあ、あの人たちの境遇など全くの別世界なので、想像することも困難なのだけれども。

 

街頭演説を見ている庶民が、ちょっと声を上げただけで警官に排除されてしまうという、信じられないことが平然と行われる世の中になってしまった。その一方で、巨大な権力を持つ人が、公然と弱小野党を誹謗中傷することを卑怯と批判しない。少し先のうすら寒い未来が透けて見えるようだ。

 

これでも投票に行かないという人たちは、自分の未来に何が降りかかってくるか、怖ろしくはないのだろうか。

 

 

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これは冗談でも比喩でもない、本当の猫の災難。排水溝の格子にはまっちゃった猫。消防士さんに助けられたそうだ。

排水管に引っかかった猫。洗剤を使って救出 wedge: MBAホルダーが語るノンネイティブへの道