よんばば つれづれ

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オールマイティはオールマイティじゃなかった・・・

今朝は恐ろしいほどの雨が降っていた。大雨警報も出ていて、今日の日本語教室はお休みになるかもしれないと思ったが、9時頃には小やみになり、無事に教室も開くことができた。

 

このところ学習者が少なく、1クラスかせいぜい2クラスで済んでしまっていたのだけれど、先週は珍しく5つのクラスに分かれて学習した。今日はまだ日本に来て日が浅く、日本語はほとんど分からず英語もあまり分からないという、16歳のフィリピンの少年の初参加があり、3クラスだった。

 

いつもは私が担当することの多い初級のインドネシアの方が出席すれば、4クラスになるところだったが、今日彼女は欠席だった。それで、私に新しい16歳の少年をみて欲しいと言われたが、とても自信が持てないので、この教室での経験が長い方にお願いし、私は上級者のクラスの手伝いをさせていただいた。

 

この上級のクラスでは、500字程度の文章を読んで内容を把握する問題をした。まず3人の学習者に文章を順に読んでもらったが、3人ともほんの数か所助言を要する程度で、漢字もかなりすらすらと読める。ビジネス文書のような硬い文章だったので、普段の生活の中ではあまり耳にしない難しい単語や言い回しが少なくなかったが、3人とも意欲的に挑戦していた。

 

そんななかで、私ともう一人の担当者が驚いたのは、文中に出てきた「オールマイティにあらゆる仕事をこなすエリートもいる」という文章の、「オールマイティ」についてのPさんの言葉だった。問題文ではここに「注」が付いていて、「どんなことも完全にできること」と解説されている。

 

アメリカ人のPさんは、「オールマイティというのは宗教的な言葉で、普通には使いません」と言う。トランプゲームのジョーカーをはじめ、日本ではさまざまな場面でいとも気軽にこの言葉を使ってしまうが、そんな特殊な言葉(ほぼ神に対してしか使わないらしい)だったとは!ネイティブに通じない和製英語の一つだったと初めて知った。

 

2年前中学生のNちゃんの受験勉強に付き合って、自分の頭の老化も痛感し、もう今後教えることとは距離をおこうと思っていた。それなのに、コスモス会で一緒だった方に頼まれて、いつの間にかまた日本語教室に関わるようになってしまった。

 

難易に関係なく、「教える」ということには重圧がつきもので、公文の教室をしているときも、教室日はいつも気が重かった。教室に行ってしまい子供たちと顔を合わせればとても楽しいのだけれど、行く前の気分は毎度ズーンと重たい。今もそれは変わらず、日本語教室の前になるとちょっと暗い気分になってしまう。生徒も減っていることだし、抜けさせてもらいたいなと思ってしまう。

 

でも、日本語教室も、いざ行ってしまえば毎回大変楽しい。そして、教えることは学ぶこと。自分の学びも発見も得られる。あれも嫌、これも嫌・・・と、出不精で怠け者の自分の思いに忠実になってしまえば、老化、認知症の道まっしぐら!となりかねない。

 

もう要りませんと言われれば仕方ないが、必要としてもらえる間は、ありがたく関わらせてもらうようにしよう。まったく、困った横着者である。

 

 

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へそ天! ヘッヘ・・・お母さん、羨ましいでしょ?!     byドリーム