よんばば つれづれ

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若い友人の赤ちゃんに会いに・・・

このブログにも何回か登場している、元の職場で一緒だった若い友人のHさん。去年の暮れに職場に会いに行ったときには産休に入ったところだったが、1月に無事男の子が生まれたと連絡をもらっていた。もう一人の若い友人Sさんが誘ってくれ、私の家まで車で迎えに来てくれて、Hさんのお宅まで赤ちゃんに会いに出かけた。

 

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上のお子さんはもう小6と中3とあって、二人とも優しくてとってもいいお姉さん。カフェで長居の記録を作るほどの私たちのこと、今日も話が弾んで夕食の準備に差し支えるのでは?と思うほど遅くなってしまった。心配で「夕飯の準備の時はおとなしく寝ててくれるの?」と聞くと、困ればお姉ちゃんたちがみててくれるとのことで、いくらかほっとした。

 

ちっちゃい子のいる家庭は忙しいだろうから、1、2時間で失礼しようと思って出かけたのだけれど、良き仕事仲間のHさんが休職中で、Sさんは職場のストレスがたまっていたようだった。いっぱいおしゃべりして、少しはリフレッシュできたのだといいけれど・・・。

 

それにしても、赤ちゃんのいる空間はいいなあと痛感した。体重は6キロを越えたそうで、2か月半ほどの赤ちゃんとしては堂々としたものだろうが、それでも大人の腕の中にすっぽり収まる小さな存在だ。なのに、赤ちゃんがいると部屋の雰囲気は一変する。やわらかな幸せな空気に包まれる。向かい合う者の心も、自然優しく穏やかな気持ちになる。

 

それなのに、そんな可愛い存在に対してネグレクトや虐待に走ってしまうというのは、不幸にも、よほどひどい条件がいくつも重なってしまうからだろうと思う。追い詰められてしまう前に、「助けて!」と言うことが許される社会、周囲が危険を察知して手を差し伸べられる社会になるといいのだけれど、時代はますます許容度をなくしていくばかりのような気がする。

 

腕の中のずっしりとした重み。見えているのかいないのか、澄んだ瞳でこちらを見つめ、ニッコリと微笑んでくれる愛らしい顔。「幸せ」というものに形を与えたら、こうなると思えるようなものだ。ヒトは誰もみな、ここから出発したはず・・・。

 

 

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