よんばば つれづれ

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育児記録の整理にかまける

去年から取り組んでいる、紙の資料類の整理。年末年始の間休んで、再び取り掛かり、このところ特に所用のある日以外は、大学ノート十数冊にのぼる育児記録(兼日記)を読みふけっている。

 

幼かった子供たちがこの頃こんなことをし始めたとか、こんな言葉を話し始めた・・・と当時の愛らしさがよみがえり、ところどころには子供たちの作品が留められている。何十年も経過して、セロテープの粘着剤はすっかり変質して紙に吸い取られ、頼りなくなったセロファンがはらりとページの間から落ちる。

 

初めての育児に戸惑い悩みながらも、ひたすら我が子の愛しさを綴っているが、途中から夫への不満が垣間見えてきたり、特にUターンして舅姑と同居するようになってからは、思っていた以上の考え方や習慣の違いから愚痴が多くなる。誰かに言えば翌日には村中に知れ渡るという田舎のことゆえ、誰にこぼすこともできず、ノートに吐き出すことで耐えていたのだろう。

 

人間の記憶というものはありがたいものだと改めて確認した。違う時代にタイムスリップしたかと思うほどカルチャーショックを受け、周辺でももう見られないほど古めかしい家風の家で苦労したことはもちろん忘れていないが、されたことや言われたこと、また妻子を顧みず自分だけしたい放題だった夫の言動なども、細かなことは結構忘れてしまっていたのだ(もちろん、自分のダメな部分も再確認させられたけれど)。

 

当時はこうしてひそかに綴ることで救われていたのだろうが、せっかく忘れている嫌なことを、わざわざまた思い出すことはないと思う。でも、子供たちの記録を一緒に捨ててしまうのもなんだかもったいない気がする。

 

息子たちが自分の幼い日の記録に興味があるかどうかは分からないが、いつも書いているように、母と同じ年までと思えばまだまだこれから私の人生には長い時間があり、またいつかこの育児記録を眺めて懐かしさに浸って楽しむかもしれない。

 

この大量の記録をどんな形で残そうか、もっか思案中。

 

 

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ハサミの練習のため私が紙に描いた絵を、3歳の長男が切り抜いた作品。

(41年前のもの)

いかにも飛行機が苦手、と分かる。息子の切り抜き方でなく・・・。