よんばば つれづれ

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アドベントカレンダー最終日といとしの津軽

「クリスマス・イブ」は「クリスマスのイブニングということで、クリスマスの前夜ではない」と、チコちゃんで知った。その昔は日没から日没までを一日と考えていたのだそうだ。というわけで、あと1時間ほどでクリスマスだ。

 

子供たちがいなくなると、クリスマスだと言ってもあまり特別な日ではなくなる。今年はアドベント・カレンダーのおかげで、ちょっとこの日を心待ちにすることができたけれど。そう、今日とうとう最後のちょっと大きな窓を開けた。

 

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出てきたのは、

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今までのよりだいぶ大きなスティックチョコレートとマスコット。ブーツに入った雪だるまさんだろうか。

 

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背中の黒いものはなに?

 

 

あとは、昨日息子の家からのクリスマスプレゼントと、青森の友人から恒例の暮れの荷物が届いた。

 

青森を離れてはや四半世紀になるのだが、いまだに何人かの友が津軽のお米やリンゴなどを送ってくれる。神奈川からUターンする夫についてかの地に転居したとき、舅から津軽はなかなかよそ者を受け入れない気風があると聞かされたが、幸いなことに、私は結構すんなりと受け入れていただき、去った後までこうして厚情をいただいている。

 

先日に続いて、資料整理をしていて出てきた古い新聞記事から、この津軽の温かな人情について書いた文章をここに書き留めさせてもらう。

 

「友の心遣いに津軽懐かしむ」

 十二月。今年も青森の友からリンゴやお米が届く。箱のすき間には、懐かしい東奥日報土手町の写真も見える。

 人生とは思わぬ展開をするもので、骨を埋める覚悟で津軽に行きながら、果たせずに離れることになった。「石もて追わるるごとく」であっても仕方がないのに、私と二人の息子が弘前をたつ夜は、驚くほど多くの方々が、見送りに来てくださった。

 あれから六年になろうとしている。息子らと、そしてそれぞれの恋人と、にぎやかに食卓を囲む週末の夜、話はいつの間にか、決まって青森のことになっている。豊かな自然と味わい深い四季、温かい人情、そして、津軽弁のなんとも言えない情緒やユーモア・・・。息子らは口をそろえて言う。「青森で子供時代を過ごせて良かった」と。

 荷を開けて、懐かしい香りをかぎながら、青森で暮らせたこと、そして、離れてからも温かく交流を続けてくれる友がいて、素晴らしい心のふるさとを持てたことに、私は心から感謝している。

                1998年12月16日 東奥日報 明鏡(投書欄の名)欄

 

 

書いているうちに、クリスマスまであと1時間を切っている。夜だと太るから、今のうちに一人用のケーキを食べることにしよう!