よんばば つれづれ

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母のために用意したものに助けられる

80代半ばだった母が、今思えば年齢的な影響もあったのだろうが、同居していた兄と衝突し、もう一緒に暮らしたくないとへそを曲げた。それで、思いがけなく豊橋に戻っていて、しかも当時すでに息子たちは独立して独り暮らし(プラス猫2匹)になっていた私のところに来ることになった。

 

内科的には何処も悪いところはなく薬も一切服用していなかった母だけれど、脚は大分頼りなくなってきていた。それで、少しでも暮らしやすくなるようにと、玄関に小さなベンチ椅子を置いた。靴の脱ぎ履きが楽になったと母は喜んだ。兄に買ってもらった老人車を持っていたが、母はそれを使うことに抵抗感があるようだったので、ちょっとお洒落な杖を買った。

 

そうして5年近く我が家にいて、そのあとグループホームに入居し、その杖もほとんど使わなくなった。老人車は片付けてしまったが、たしか杖は処分してなかったはずと思いだした。なぜかと言えば、先日医者をしている友人が電話をくれて私の脚の話になり、松葉づえも随分助けになるから使ってみてはと言われたのだ。前回整形外科に受診した折り、先生からも提案はあったのだが、なんとなく大げさな感じがして躊躇してしまっていた。

 

また受診して松葉づえの相談をしてみようか・・・と考えているうち、思い出したのだ、母の杖の存在を。傘と一緒に保管されているのを見つけ、取り出して家の中を歩いてみると、確かに痛みが軽減されてひどいびっこを引かずに済む。松葉づえほど大げさにならないし、しばらくはこれを使ってみようかという気になった。

 

玄関のベンチ椅子は、身支度をしてタクシーを待つときに重宝している。部屋で待っていると、運転手さんに呼ばれてから出ていくまでに時間がかかってしまうので、「少々時間がかかります」と言われた時も、支度は済ませてこの椅子に座って本を読んで待っていれば、車が来たときさっと出られる。

 

まさか、九十近い母のために用意したものに、こんなに早く自分が助けられるようになるなんて、用意したその頃は思いもしなかった。

 

 

日本中、いたるところで思いがけなく不自由な生活を強いられている人たちがいる。慣れぬ異国を旅行中だった方たちや障碍のある方たちは、情報も十分に手に入らず、どんなに心細いことだろうと思う。もちろんそうしたハンディを持たない日本人の方たちだって、さぞ大変なことと思う。

 

一つの大きな災害が収束しないどころか、被害の全容すらつかみきれぬうちに次の大災害が起きる。一連のオウム事件のころも、中華航空機の墜落があったり、阪神淡路の震災が続いたりして不安が募ったが、近ごろも大きな災害続き(なかでも最大級の痛手の原発事故は、本来は避け得た人災)で、なんだか日本全体が罰を受けているのではないかとすら思えてくる。

 

人生何が起きるか分からない。いつ何に助けられることか。今日は無事でも明日も無事だとは限らない。周囲の人には親切に、離れている人にも心を寄せて、自分のできることをしたい。ある程度のお金はもちろん必要だろうが、最後の最後に助けられるものは、人と人のつながりのような気がする。

 

 

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地震のニュースの朝の朝顔。元気を出して!というようにいっぱい咲いてくれた。外側から撮った方がきれいなのだろうが、回っていくのが今の私には大変なため、横着して室内から撮影。杖に気が付いていればよかった。今夏最多の開花だったかもしれない。