よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

小学生の重い足取り

毎年この時期恒例の”社会を明るくする運動”の一環である「あいさつ運動」が、今日も地域の小学校で行われた。天気予報では今日は早朝から雨となっていたが、幸いこの活動中に雨が落ちることはなかった。

 

校門の内外に関係団体の大人たちがずらっと並んで「おはよう!」「おはよう!」と声を掛けるのは例年通りだけれど、私は今回初めて校門から少々離れた通学路の一角に民生委員の仲間たちと立った。

 

7時50分を回ったあたりから、徐々に児童たちが通学してくる。8時5分くらいにはあらかたの子供たちが通ってしまったが、このあとのんびりペースの子供たちがまだパラリパラリと通る。

 

みな通り終わってもう終了してもいいんじゃないかと思うのに、皆さん動こうとしない。曲がり角から覗くと、自転車を引く交通指導員さんに付き添われて、体格の良い一人の男の子が、ノーッソリ、ノーッソリと歩いてくるのが目に入った。

 

大人たちが、自分一人のために待っているのも分かっているのやらといった風情の、重い足取り。並んだ大人が一斉に「おはよう」と声を掛けるが、暗い顔つきでうつむき気味に通り過ぎる。追い越さないように、その子と指導員さんのあとを10人の大人がゾロゾロとついて校門まで行く。

 

校門からずらっと並んだ人垣はさすがにきまり悪かったのか、足早に抜けて校舎に向かっていった。

 

毎月の見守り隊の会議の折に、登校しぶりの児童が何人かいるということは聞いていたけれど、今日初めてそのようすを目の当たりにした。あの子のあの足取り、あの顔つきを思うと、さぞや学校に行くのが嫌なのだろうなと思う。

 

まっさらな心と、何でも吸収する柔らかな頭をもってこの世に生を受け、まだほんの10年そこそこだろう。あの子に何があって、あんなに面白くなさそうな人生になってしまったのだろうと思う。

 

私が小学生の頃にも、あんな暗い顔をして、重い足取りで登校する子もいたのだろうか。あの時代は今のような陰湿ないじめ(ガキ大将やいじめっこはいた)はなく、子供たちはもっと元気に登校していたと思いがちだが、子供の私が気づかなかっただけで、もしかしたら学校がつらい場所だった子もいたのかもしれない。

 

子供は勉強なんて嫌いなもの、と考えている人もいるかもしれないが、私は、子供は本来好奇心のかたまりのような知りたがりで、勉強は好きなはずだと思っている。それを面白くないこと、嫌いなことにしてしまうのは、学校教育の方法がまずいからだ。そのうえ今はさらに、一部の子供たちにとっては、人間関係などの要素も重くのしかかっているのかも知れない。

 

まだまだ人生の入り口をくぐったばかりのような小学生が、あんなに暗い顔つきと重い足取りで一日を始めなければならないなんて・・・。あの子のこれからを思うと、なんとかならないだろうかと気にかかる。

 

子供であろうと、ときにはつらいことや苦しい時もあるだろうが、基本的には明るく楽しい日々であって欲しい。だって大人になれば、どうしたって苦労や試練に出合うのだから。幸せな子供時代が、大人になってつらいことに出合った時の耐える力になるのではないかと思う。

 

児童憲章には、

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境のなかで育てられる。    とある。

 

 

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お疲れ様でした・・・。