よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

上野千鶴子さんのジェンダー講座

ちょうどそろそろ出かけようかという頃に、激しい音を立てて猛烈な雨が降り始めた。足の調子も良くないし、残念だけど諦めようかと思ったが、まさに夏の通り雨という感じで間もなく上がった。急げば間に合いそうなので、愛知大学まで出かけることにした。上野千鶴子さんの講演はやはり魅力的だ。

 

当初は先着150人という案内だったが、問い合わせが多かったのか、急遽別の広い教室に会場が変わり、急な場所の変更と雨に襲われるということもありながら、参加者は250人近くいたのではないかと思う。

 

演壇に登られたのは、この小さな体でさまざまなエネルギッシュな活動をなさっているのかと驚くほど華奢な方だけれど、話し出すともう機関銃のように、与えられた1時間で言いたいことは全部しゃべるんだという勢いで話された。レジュメはなし、話は速いしで、プロジェクターで示される要点をメモするのも追いつかない。

 

開口一番、「おひとりさまの上野です。でも今日はこのことは一つも話しません」。今日の演題は、「ジェンダーはいかに再生産されるか?」である。

 

現実は言語が作り出し、したがってジェンダーも言語が作る。そして言語というものはジェンダーまみれである、という理屈が非常に印象的だ。よく差別用語だとして、特定の言葉を放送や印刷物から締め出す。そういうことに疑問を感じモヤモヤしていたが、そうか、すでにして言語そのものがジェンダーまみれなのかと、妙に納得がいく。

 

そうした状況の中で、差別する側はもちろん、差別される側さえ無意識にジェンダーを受け入れてしまっている。「セクハラ」という言葉が生まれ、多くの人が口に出すことによって、やっとセクハラが権力の濫用による人権侵害であるということが、社会で認識されるようになった。それでも、まだまだ某元事務次官やら某大臣やらは、騒ぐ女がおかしいという程度の認識だ。

 

性差別の指標はジェンダーの項を入れ替えても成り立つかを考えると分かりやすいとして、「女性が輝く社会」というスローガンを例に挙げた。反対は「男性が輝く社会」。これはありえないだろうと、「女性が輝く社会」の差別性を見事に看破。

 

また、もう一つの指標として、「一方の差別集団に著しく有利もしくは不利に働く効果があるか?」ということがあり、この例として日本型雇用のルールを挙げた。

 

全体を通して、現在の政治への強い批判精神を感じた。日本はたいへんなジェンダー意識後進国であるうえ、なかでも政治の世界はその最たるものだから当然と言えば当然だろう。

 

質疑応答で、日常生活の中でそうした差別をなくしていくにはどうすれば良いのかという質問に、上野さんは、細かなことにいちいち文句を言い、うるさい市民になろうと仰った。そうすることで徐々に言語が変わっていくと。法ではなく、慣行が変わるには時間がかかると。

 

来年は就職活動をし、やがて社会に出るのだが、職場でどうジェンダーと闘えば?という女子学生の質問には、職場には同調圧力が強く、それに従わないものははじかれるが、思い切って「変な人」になってしまう(村のガイジン作戦と言っているそうだ)という戦略もあると仰った。変な人が3割(この数字は社会が変わる臨界値とのこと)になれば世の中が変わるそうだ。

 

別の若い女性が先の質問者と重複することを聞くと、「それにはもうお答えしました。聞いてくださらなかったのですね。残念です」とピシャリ。小気味よかったが、いくら講演者と無料の聴衆の関係であっても、こういうふうに生きてくればさぞ敵も多かろうと思われる。ジェンダーを打ち崩していくためには、上野千鶴子的人間が増えねばならぬが、この強さは誰もが簡単に獲得できるものではない。

 

 

なべておとなしい日本人。上野先生の講義は歯切れがよくてよく分ったが、やはりこの社会の空気を変えるのは、なかなか簡単なことではないと感じた。

 

 

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誕生日のプレゼントにもらった羊毛フェルトの羊のブローチ。大きさが分かるように、500円玉に乗せました。日本人はおとなしい羊の群れ?もうすぐみーんな窮屈な囲いの中へ・・・。