よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

事故がなかったのは何よりだったけど・・・

民生委員をしていると、地区の小中学校の運動会に招待される。先週は中学校(雨で一日順延)、今週は小学校だった。昔は運動会と言えば秋が定番だったけれど、今市内の小中学校はほとんど春に行われる。

 

昨年の小学校の運動会は、奈良旅行とぶつかって欠席したため、今年初めて開会式からお昼までを通して見物した。

 

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日本中のあちこちの都市でソーラン祭りが行われているようだが、どうやら運動会でも「ソーラン節」が大はやりらしい。先週の中学校でもやっていた。

 

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1・2年生のダンスは可愛らしくてほほえましいけれど、どれくらい練習時間を費やしたのかと思うと少々気にかかる。

 

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もっと気にかかるのはこれだ。全員はだし。土の上に寝っ転がったり、膝をついて上に何段も人を乗せたり。家でお風呂に入るにしても、なんだかちょっと気になってしまうし、一番下の子は膝が痛いだろうななどと、心穏やかに見ていられなかった。

 

中学校は驚くほどゆるいプログラムで、体育の授業を何週もつぶして練習しないとできないような種目は何もなかった。もちろん、このような危険を伴う組体操もなかった。ほかの地区の中学校もそうなのか、それともここの中学校がマンモス校から分離して創設された、比較的歴史の浅い学校だからなのかは分からないが、私は自分自身も体育祭前のダンスなどの練習で体育授業がつぶれるのが嫌いだったので、そのゆるいプログラムにはとても好感を持った。

 

運動会にしろ、学習発表会や卒業式にしろ、とにかくあまり練習を積んで一糸乱れず行うことに価値を置かない方がいいように思う。見る側がそうした行為に感動し評価することが、なかなか教育現場での改善が進まない一因になっているのではないだろうか。学校でも社会でも、忍耐とか努力とかを美化しすぎるように思う。

 

 

f:id:yonnbaba:20180526221702j:plain(もう、いちいち紐で縛ったりしないのね・・・。)

あきれるほど進歩や変化の少ない「学校」だけれど、本部や来賓用のテントが進化していて驚いた。そして観戦する保護者たちは、キャノピーを設置したり、お昼のために木陰にシートを敷いて保冷箱や折り畳みいすも準備している。撮影器具などの進歩は言うまでもない。世の中は便利さや快適さを求めて進化・変化しているのだから、学校現場ももっともっと変わっていいのではないだろうか。